過去に何回か書いておりますが…私たちは、
『芸術に答えはない。』
と考えております。
正解なんて
どんな物語でもどんなお芝居でも、「正解」なんてないと思いますし、「正解」を求めてつくったりしたら、楽しくないと思っております。
その物語や役について、役者が10人いれば10人分の、スタッフが10人いれば10人分の、お客様が100人いれば100人分の答え、正解があり、どれが一番正しいかということはないと感じております。と同時に正解を求めることが非常に困難だと考えております。
では、なぜ正解を求めることが困難、答えがないと考えるのでしょうか。
正解を求め悩むから「つくる」という行為が終わった後、充実感があるとも思えます。
しかしながら、我々が手がける世界は人が相手の職業だと考えています。―――。万人を満足させることのできるお芝居に私は未だ出会ったことがありません。
演技、演劇にも数学などに用いられる公式のようなものがあれば答えを導きだすのは簡単なように思えます。もし、芸術の世界に公式が存在していたら・・・芸術家、表現者、みな同じものを導き出して気持ち悪いと思います。
ただ、やはり、セオリーは…
ただ、やはり『セオリー』的なものは存在すると考えています。
大先輩のお言葉を借りるのであれば、「オーソドックスな表現」ということでしょうか。
そのセオリー、オーソドックスな表現を学んで自分自身で作り直していくというのが最初なのではないかと感じています。
創作をしていて悩むのはとても良いことだと思います。
それは何が正しくて、何が間違っているなんて誰にも判断できないと思います。
(色々な作品を観てそれを思うことは感性を磨く上で非常に大事だと思います。)
お稽古場でダメ出しがあったとしても、単にそれは監督さん(もしくは演出)の創作過程の一つであって、且つブラッシュアップの一つであり、決して正解を導き出すものではないように思います。
なぜならば、もし演技に「正解」があるとするならば、その時に示した演技と同じモノ、寸分狂わず同じものは2度とできないからであります。
不正解も答えの一部
細かいことを言うと「不正解」も答えの一部です。つまりは演技というものに、正解も不正解もなく、ましてや完成することなんて、完璧になることなんてないのではないでしょうか。
だからといって、作品を完成させないわけにはいきません。妥協するわけにもいきません。
お稽古、練習を通じて、何度も何度も塗りなおしていって、はじめてそこで”日の目が見れる”という判断を通過して世の中に出て行くものだと感じます。
世の中に完璧な芸術などない、だから悩み続けるのではないでしょうか。そして、毎回新たな発見をしていくのが創作だという気がしてならないのです。
新和座でやっていることも研究成果や方法も単に1例でしかありませんし、けっして答えでも正解でもありません。研究を続けることで別の方法や技法が発見できるかもしれません。
私たちは「芸術に答えはない」という思いを更につづけ、日夜研究して参ります。
今回の「王女メディア」でもそのとおりであります。試行錯誤をつづけ、座長いとう以下一丸となって工夫を続け、正解のない世界に挑んでおります!
そして、2月16日、一つの答えにたどり着いた私たちを是非、ご覧いただきのです!
王女メディアは2月16日から!
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