人生で繰り返すこと。
生まれてきて始まって死んで終わる。
人だけではない、出会いと別れも繰り返しながらの旅。
そういうことを考えないわけではなかったのですが(ご存知の方はご存知の通り)特に考える機会が多い最近なので、何か考えなくてはいけないのだこれは。
と、思いました。
生と死だけはわかりませんね。儚さと強さをとても感じてはいましたが、生きてくると本当に生きていることや命が愛しく思える。
何をしている時が一番幸せ?
というありきたりな質問を何度も受けてきましたが、その質問がやたらと頭に浮かんでくるんです。唐突に。
大体いつも困ってました。
選べますか? 食べてる時とか寝てる時とか多いかな。好きなことをしてる時。これは絶対幸せですね。自分が大切にしている人と会っている時、過ごしている時。
でも私は考えてしまうのです。
そして最近はより強く思うようになったのですが、どんなに辛いことや悲しいことや苦しいことでも、それは自分の中の人生として経験してしまったもう消せない時間で、自分の一部なわけで、それがないと今この瞬間の自分がいないわけです。面白いことや楽しいことや嬉しいことばっかりだったらそれはそれで人生は絶対楽しいけれど、私はどうしてもそうは考えられず。
後になれば笑えるんです。大体のことって、痛みって消えないけど、明確じゃなくなるし、不思議なくらいいい部分だけ忘れさせてくれて、でも大切なものは残る。
でも、だからそういう負になってしまうかもしれない部分もとても大切だなって。今だから? 思うのです。そういう感情も経験も含めて、人生で。そういうことがあるからわかることがあって。だから結局生きている時間がすべて愛おしいんです。
一番幸せな時って、つまりいつだって幸せだったんですよね。ひとつ答えろなんて無理なんです。どんな瞬間でも、生きていられることがとても幸せです。
永遠ではないことはわかっていて、だからたまに切なくなります。ドラマみたいに「はい十年後」とか時間が飛んだりしないから、ゆっくりと生きていく間に受け入れられる気持ちが作られるのだろうかといつも疑問。終わりがあるからいい。そうだと思います。
以前も同じようなことを書きましたが有限だからいいんです。きっと。どうしても忘れてしまうし怠惰になってしまうから、終わりがあった方がいい。
その儚さが見える時が苦しくて、でもその苦しさも生きているが故のものなのでしょう。
いつだって必死でした。せっかちなんです。常に追われている気がしていました。終わりの瞬間に。
でも、最近どこかで聞いたこれもまた定番の「最後の晩餐はなににするか?」というのを考えてみて。
やっぱりここでも、特に思いつかなかったんです。
お気に入りのお店のケーキや、好きな料理もあります。凄く美味しいと思って食べますがしっくりこない。食べたことのない贅沢な何か? 別に。
……結局、いつも通りでよかったんです。
思っているよりもずっと、私は日常を愛していて、日常を愛するということはとても幸福なことだと思いました。
で、最後の晩餐があるならとついでなら最後の一日も考えてみたのですが、やっぱりまあ当然、いつも通りの一日を過ごしたいと思いました。
生きる上でかかせないこと、好きな仕事、それとは関係なく好きなこと、ただ外に出ることも好きです。どこかに行くとかじゃなくて、空を見て空気を吸えば私はそれで幸せなので、近所をぷらっと散歩でもすればいい。一日の大体の決まり事を、できる瞬間までやっていたいと思いました。
不思議なくらい、特別な何かをほしいとは思わなくて、それがおかしいと思ったり。
これ、春独特のものなのでしょうか?
どうしても始まりとか終わりを連想させますよね。
まあそんなことを考えながら、考えすぎじゃないと言われるめんどくさい自分と一緒に生きていくわけです。
明日から四月です。
響きが一気に春。土曜日のブログに書いた通りなので、四月にすることをこのブログを書いた後に書いてみようと思っています。それで今日は土曜日じゃないのにブログを書いているのは、実は今日で劇団新和座を退団させていただくからなのです。
入る前、入ってからこれまで七年くらい? 十年一昔にはならないのですが、結構私の中でのいろいろなことに関して考え方も変化し、役者として、それ以前に一人の人間として、どういうふうに生きていきたいかと考えてきました。そして今一度体制を見直すことに決めました。
本当にいろいろ考えたのですが、今回こういう形になりました。
実は座員でいる間の方が舞台に出てない気がするのですが気のせいですか?
私は役者ですが、声の仕事で十年ほど前にデビューさせていただいて、本当にまわりの沢山の方に恵まれたおかげで仕事を続けてこられました。演じる事そのものが好きですが、声の仕事がとても好きで、そちらを多くさせていただいていた形です。
何かの商品になると、こんなの出ました、と言えるのですが、実はそういう形にできないものもさせていただいていて、私の知らないうちにこの世界に出ていたりするので、なんだか不思議。聞きかけたらよろしくお願いします。
今後も、実はあまり変わらないのですが、引き続き声の仕事を続けていきたいと思っています。また聞いていただける機会がありましたらよろしくお願いします。
土曜日のブログは、とてもいろいろなことを考える機会を私に与えてくれたと思います。
わざわざどなたかが人生の一部の大切な時間を使って、もし読んでくださっていたら、と思い、なるべく楽しいお話、読んでよかったと少しでも思っていただけるようなお話を、こんな頭を捻って考えて、でも上手くないので調子が悪いと五時間くらいかかってしまう日もあったのですが……続けてこられてよかったです。
下手でも考えて練習し続けると少しは上手くなれるのかな。よくわかりません。でも私の話は他の座員に比べて圧倒的に「暗っ!」かったと思います。
週末のお休み前に暗い気持ちにさせてしまっていたらごめんなさい。
それももう終わりです。これまで読んでくださった方がいましたら、ありがとうございました。
またいつかどこかでお会いできることがあったらその時はよろしくお願いします。
夏にトマトのことをお話できないのは少し残念ですね。
土曜日に種をまいたことを書きましたが、実は芽が出ました。とてもとても小さくて緑の色が濃くてかわいい芽です。命の始まり。小さいけれど見た瞬間物凄く高揚しました。やっぱり命って凄いなあ。
この芽が成長している姿を見られるかはわかりませんが、そうなるようにできるだけ頑張って見守りながらお世話をしていこうと思います。
大きな変化はなくても確実に育っていく芽を大切にするように、大きな変化はなくても日々積み重ねて勉強したり精進したりしながらこれからも自分を少しずつ成長させていきたいと思います。
長い間ありがとうございました。
さようなら。またいつか会えますように。
加藤有希子