本当にやろうと思ったことの行く末

本当にやろうと思ったことは大体のことはできると私は思っています。
もちろん程度はありますが。
完璧に、までとはいかなくてもある程度形にはできるものだと。そして形にさえしてしまえばもっとブラッシュアップしていくことは可能なのではないかと。
何せ大変なのはゼロを一にすることだと思うのです。
何もないものを有限にするって、大変。

 

ええー、そうかな? って何割かの人には思われそうですが、もちろんただ「できる」わけではないのです。
いくつかコツみたいなものや条件もあると思います。

 

まずは、何よりここからなんですが、やろうと思ったことに本当に挑戦するかどうか。第一歩を踏み出すかどうか。
大体「やりたいんだよねー」と言いながら放置、というのはよくあることです。小さなことでも大きなことでもやってみなければ始まりません。
何はともあれ行動することで始まるのだと思います。

 

 

そして、次に大体始めてみると、ようやくそのものの輪郭や破片みたいなものを知ることができるのですが、案外簡単だったんだなと思うこともあるでしょうし、逆に思ってた以上に難しいと思うこともあるかもしれません。もし後者だった時に、そのまますぐに諦めてしまっては当然何にもなりません。
「できなかった」と結論付けてしまうには少し早いと思います。
確かに思っていた以上に難しかった。でもやる前と違ってこういう難しさや問題点、改善点が見つかった。では今度はそっちを気にしながらどういう方法が最適か別の方法を試してみようと思うことができるわけで、それでまた次も上手くいかなくても、まだ残っている別の方法を試せばいいのです。

 

ではそれを繰り返していっても上手くいかない場合。
それは精度が足りないことが考えられます。
百パーセントの完全系とはいかなくても、まずは六十。それでもかなり形にはなっています。七十。これくらいになるとものによっては成功だと捉える方もいるかもしれません。
ですが十パーセント以下、二パーセントや、一パーセントにも満たなかったり……これは存在はしているけれど流石に形としては小さすぎるのです。
これをまずは十パーセントを超えるところから、徐々に数字を上げていく必要があります。
そしてそれには、ただ精度を上げるために反復が必要なのです。
それは個人によってかなり差があると思います。たまたまそのことに関してセンスや才能のある人だったら、一パーセント以下だったものを十回程度で百パーセントにできる人も中にはいるかもしれませんが、大抵の場合そうは上手くいかないのです。
何十回、何百回、何千回や何万回やっていかないといけないかもしれません。
でもその先にしか完成はありえないのです。

 

 

つまり「できなかった」と結論付けてしまうのが早いのですね。
情報の速い時代に、以前よりも明らかに早く結果を欲しがる時代になってきているとは思いますが、構築や形成は一朝一夕でできるものでは、本来はないのだと思います。
焦らず、時間をかけて、完成に近付けていくしかないのです。
その部分に関してはどこか時代に逆らうような?気持ちで、確実に結果までの道のりを歩むしかないのだと思います。

 

そしてできないことのもう一つの理由には、アプローチの仕方が間違っている場合もあります。
見当違いのことや筋違いのことをしていても完成には近づかないどころか別方向に遠ざかってしまうことさえあります。
積み重ねているつもりなのに、全く上手くいっている気がしなければ、このことも考えてみる必要があるかもしれません。
どんなことにも「センス」というものがある程度求められ……(私もよく、全然違ったことしてた! ってなって嘆くこともありますが。)
この部分も難しくてセンスのある人は何をやるべきか瞬時に見破ってぱっぱと進めてしまうのですが、なかなかそうはいきません。
センスもある程度鍛えられるとは思っているのですが、センスがなくてもあらゆる方法を地道に試し、回数を重ねていく、ということでカバーできるのでご安心を。
確かにセンスを持った人には負けてしまいますが、勝ち負けではないし、できる方法さえあれば未来は見られるのでそれでいいのです。
センスのある人を羨ましがっていても前には進みません。

 

そしてもうひとつ。
できないと思い込んだり、何らかの理由で挑戦しなかったけれど、やってみたら案外簡単にできてしまうパターンというのもあります。
これは自分の中での思い込みで難しく考えすぎていたか、ハードルを上げすぎていたか。
想像力が豊かでもこういう想像を膨らませすぎてはいけません。
案外高い跳び箱でも飛んでみるとポーンと簡単に飛び越えられるセンスや運や力をもっているかもしれませんので。

 

……ってわかっていても繰り返してしまうのが人間なので、これもご安心を。
これはこれで新たな学びになるのです。

 

面倒がってないで、怖がっていないで、挑戦するべきだと改めて自分に言い聞かせる機会になるのです。

 

私にも今週、こんなことがありました。
基本的に大雑把で適当な私はお菓子作りが苦手です。
料理やお菓子作りは科学、と言われるくらい、微妙な量や温度や方法などで完成が変化してしまう繊細なもの。
特に私はお菓子作りはそういう意味で面倒だし難しいと思ってしまうのです。
今はそれでなくても美味しいお店が星の数程あるんだからわざわざ自分で作らなくてもね……。

 

という言い訳!
だけど私は既に知っていたはずなのです。料理をしていて、自分で作れば完全に自分好みにはできるということを!

 

チーズが好きで、どうしてもマスカルポーネチーズが食べたくなった私は、ティラミスを自作することにしました。
好きなのでそれこそ数えきれないくらいお店で食べているので自分で作ったものが満足のいくものだと思える気はしませんでしたが、上記の通り、まあ最初から上手くいくなんて考えは捨ててやってみる時はやってみないといけないのだ。と思い込む。

 

だけど結果、ですね。
ちゃんと化学式を解くように、きちんと手順通りに作るとちゃんとできるようになってるんですよ。そのためにレシピがあるのですもの。
もちろんそうやったつもりで出来ていなかったということも起こってしまうのかもしれませんが、この場合たまたま上手くいったのです。

そして私は思いました。いや、わかっていたのですけどね。

「なんだ。私はただ面倒がってやらなかっただけじゃん」と。

いけませんね。とてもいけません。知らないことや新しいことをするのは誰だって大変だし、怖いし、面倒ですが、上記のことを心に言い聞かせて失敗してもいいやって前向きに挑戦的な気持ちで新しいことやこれまでやっていなかったけれどやってみたかったことに挑戦していただきたいとおもいます。

 

……私が言うなって感じですけれど。
これを機に私も反省したので、改めて挑戦するべきことには挑戦していこうと気持ちを引き締めたのでした。

 

予想していた、スポンジが膨らまずに固くなるかも? とか、クリームがべちゃべちゃになって使えないかも? なんて心配はひとつも起こらず。
悪い想像ばかりしていたせいか、想像の五百倍くらい美味しいものができて(どんだけ悪い想像してたのかってことですね)びっくりしました。
そしてこういう小さな成功を積み重ねていくことによって人は自信をつけていける生き物だと思うのです。
何も大きなことを成し遂げなくたって小さな自信を積み重なていくのだって、十分に自分を肯定できる材料になるのだと思いますよ。
よく「自信がないので……」ということも聞きますが。そして別に私も自身があるわけじゃないのです。

 

ある意味では認めることも大事で、「できなくても、これが私なんだ」と思うこと。
どんなに何かを羨ましがっても、なんでああならないんだと嘆いても、自分がそうなれるわけではないのです。
できないこともある、でも別の何かはできる自分を認めてあげることも大事なのだと思います。そうじゃないと天才以外は辛くなってしまう。
まあ私程ダメな自分を肯定してあげることも甘々すぎておすすめしませんが……。
一番自分を認めてあげられるのが自分なのに、そんな自分で自分を否定しちゃうのは悲しいことじゃないですか。

 

そして最初の話に戻るのですが、なかなか結果がでない時間はどれくらい続くのかはものにもよりますし、人にもよりますので全くわかりません。
一年、二年、五年、十年……あるいは数十年かかってしまうこともあるかもしれません。
それだけを見つめて息苦しくなってしまっては完成するまでにへばってしまうので、適度に息を抜きながら、そのこと以外にも人生全体のバランスを見て完成を目指していただきたいと思います。

百パーセントの保証はありませんが、正しいやり方で正しい量を重ねればそれなりの形にはなってしまうのです。
(できない場合は上記のどれかがないのでもう一度)

明るい未来は見えてきましたか?

では素敵な週末を過ごして、また新たな挑戦に向けて頑張りましょう。
私も頑張らなきゃ~。

 

では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


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