写真

2016-07-21b▼ぼくの趣味。広く浅い趣味のうちの一つが『写真』です。

▼デジタルの一眼レフカメラを買ってもう、7,8年経つでしょうか…その前にもフィルムの一眼レフカメラを使っておりました。

▼かと言っていつまでたっても写真の腕はあがりませんが・・・カメラというのは非常に面白いのです。

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音楽

▼ありがたいことに新和座のお芝居を御覧頂いているお客様に『音楽』をお褒め頂く事が多いのです。

▼もちろん「好みじゃない!」と仰るご意見もあります。が・・・どんな風にお褒め頂くことが多いかと言いますと…

▼”選曲が良い”ということですとか、”タイミングが良い”ということですとか、”大きさが良い”ということですとか・・・色々な視点からご意見を頂きます。 続きを読む “音楽”


アニメ

▼アニメーション。

▼こんなぼくでもかつてはアニメのキャラクターに生命を吹き込む声優さんになりたいなぁ〜と思っていた時がありました。ぼくにはその素養はありませんでしたが…

▼ぼくが小さい頃から現在に至るまで色々なアニメーションが創られてきました。

▼一口にアニメと言っても、声優さんだけでできるわけではないのはもちろん、皆様御存知のとおりです。

▼原作者の人がいたり、キャラクターのデザインをする人がいたり、原画や動画を描き、画を塗ったりする人が居たり、音楽をあてはめたりする人が居たり、声を吹き込む人がいたり、スケジュールを管理する人が居たり、宣伝する人が居たり・・・その他・・・ 続きを読む “アニメ”


変身

▼今週の新和座ブログはひと味違った趣向で書いていきたいと思います。

▼それは何か。今週ずっーっと、ぼく、武藤が書いていきます。

▼それは何故か…新和座が次期公演の準備を始めるのと同時に…ブログの”内容”にも変化を起こしたい、という事が大きな理由です。
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色々なジャンルの本を読もう♪

▼ぼくは色々なジャンルの本を読む事は非常に大事な事だと考えています。

2016-07-11a

▼どう考えても、『自分が対象でない』本も読んでみる事も大事だと思っています。といいますのは…お芝居をする上では、どのような時代、背景、設定の役が来てもいいように準備の一環になると考えているからです。

▼もうちろん、どう頑張っても”ふられない役”というのもありますが…自分自身で読む本を限定してしまうと世界観が狭まってしまうと考えています。

▼同じ小説でも自分が不得意なジャンル、つまらないと思うジャンルも読んでみる事が大事だと思っています。

▼今はネットの時代ですから、ちょっと探せば本についてのレビューや書評もあると思います。これらを読んで参考にするのは良いと思うのですが…レビューを読んだだけで本編を読んだつもりになるのはなんとも残念なことです。

▼と言いますのも…物語(もしくはその内容)を読んで、「何を考え」られるか「何を感じ」る事ができるのかは…人それぞれだからです。例え他人が”つまらない”と言っていたとしても…自分が同じ感想を持つかどうかは読み終わるまでわからないからです。

▼実は本に限ったことではないと考えていますが…本を読んだり、生のお芝居や演奏を聞いたりすることは…自分の五感をフルにつかって触れる事ができます。”生”のモノに触れる。これはお芝居をする上については非常に大事だと考えています。

▼「本」の話に戻りますと…活字に慣れる事によって、台本の読み込み、物語の理解度も増すと思いますし、声にだして読むことで台本の初見読みが上達していくとも考えています。

▼しかし、偏った・・・自分の好きなジャンルの本だけ読んでいますと色々な表現方法に触れることができません。ですので、色々なジャンルの本を読むことが(お芝居に限らず)自分の見識を広げ、視野を広げる手助けになるとぼくは考えています。


選挙と座員と声優教室

▼日曜日。いつもならば劇団新和座の稽古の日です。しかし、公演後2週間はおやすみです。

▼座員たちは各々リフレッシュしたり、のんびりしたり、はたまた忙しく動きまわったり…

▼稽古はなくとももちろん普段の”座の活動”はしております。例えば梨沢の8月末舞台

▼次の17日は、訓練と会議があります。この公演後の会議はとてもとても大事です。今後の新和座の動きが共有されます。その打ち合わせに座員はそれぞれ準備しております。

【選挙】
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耳のはなし

▼今日は「耳」のはなしを書きたいと思います。

▼お芝居の勉強を始めますと…どんな声優学校でも俳優養成所でも・・・大抵は共通語、標準語のアクセントを学習する時間があると思います。

▼ぼくは役者修行時代、「なんで今更・・・十数年も二十数年も慣れ親しんだ言葉を矯正されなきゃならんのだ!」と思ったものです。ひねくれ者なので。

▼共通語をしゃべれば、より多くの人に言葉が伝わるというのが理由の大きなところの一つだと思います。

▼ですが、私は今までどんな舞台でもドラマでもアニメでも・・・厳密に全て共通語でつくられている作品に出会ったことがありません。

▼では何故、必死になって共通語のアクセントを身につけるのでしょうか?

▼私とかかわりを持っていただけた方はこの話は良く聞く話だと思いますが私は発声にしても滑舌にしてもアクセントの練習にしても
『耳を鍛える』ために行っているものだと考えています。

2016-07-08a

▼極論で書いてしまうと、先天的なものや、病気で耳が悪い方は話しことばが話せない状態になることがあるといいます。また、ヘッドフォンなどで大音量で音楽を流している時にしゃべろうとすると、何を自分でしゃべっているかきちんと理解できない時があります。

▼混同してはいけないとは思いますが、上記のことから発声やアクセント、滑舌の上達方法として、明瞭な話し言葉(アクセントや滑舌)と自分の話し言葉の違いを聞き分ける能力を身につけることが、練習する上で目的とする一つだと考えています。

▼アクセントは何度も何度も共通語のアクセントで読めば身につくと思いますが、それでは、「その例文」しか身につきません。(もちろん、例文も身につかない、というのは論外ですが)そうした例文の練習を元に、色々な言葉を聴き、違いが分かる耳を持つことが色々な現場で役立つものだと私は思っています。