【王女メディア出演者紹介】クレオン王役 武藤賀洋

王女メディアの発端は…

アルゴー船での冒険を終えたイアソンは妻メディアの協力もあって、イオルコスの王になったわけですが、その王位継承の際、メディアは先王であったイアソンの叔父ペリアスを彼の娘を欺いて殺してしまいます。
その殺人の罪でイオルコスを追われたイアソンとメディア。彼らはコリントスに流れ着きます。
コリントスの王クレオンは罪人とはいえど、イアソンの人柄をずいぶんと気に入り、自分の娘クラウケーとの結婚話を持ちかけます。こうして、エウリピデスの「王女メディア」が始まるわけです。

 

オイディプス王にもクレオン王

ギリシャ悲劇がお好きな方ならご存知のお話かもしれませんが、古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソポクレスが、書いたギリシャ悲劇の最高傑作として名高い「オイディプス王」にもクレオンという名前の王が出てきます。
色々な文献を参考にしますと、この二人別人だということなのです。
オイディプス王に出てくるのは、テーバイの王で、メディアに出てくるのはコリントスの王クレオンです。’クレオン’にはもともと『支配者』という意味がこめられているそうです。

 

支配者クレオン

メディアの本編では、クレオンは自分の娘をイアソンに娶らせた直後より始まります。これはいつの世も同じかもしれませんが、政略結婚でない限り、自分の子供を嫁に嫁がせるわけですから、かなりイアソンの事を気に入っていたのでしょう。

今回、このクレオン王を演じるのは文芸部の武藤です。
いつもは偉そうに演出していますが…今回は演出から離れ、このクレオン王に向かい合っています。

余談ですが…実際の武藤も、稲木・西村を大変気に入っており、「こういう大人にならないでね」と言って稽古をしております。

武藤はこのクレオン王がとっても好きだと言っております。この好きな役を武藤がどう演じますか、是非劇場にてご覧いただければと存じます!ご期待ください!!

 

王女メディアは2月16日から!
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新和座の舞台には愛がある。

これは何回か色々なことろで書いていると思います。
ぼく、武藤の演出家としての思想と言ったほうがいいかもしれません。
お芝居というものは『人間の愛』だと思っています。

愛と言っても色々な愛の形があります。
親子愛・ 夫婦愛・恋愛・友情・兄弟愛・師弟愛・動物への愛・物への愛
などなど・・・

色々な愛の形がありますが・・・
お芝居というのはこういった愛が根本にある気がしてなりません。
ぼくはお芝居において究極に表現したいことはこの「人間の愛」なのです。

どんな物語にもどんな舞台にも人間の血の通った愛がなければ、人の心は動かないと思っています。
例え、悲劇であろうとも、その裏には人間の愛が絡んでいると思います。
例え、喜劇でも、その裏には人間の愛情がなければ笑いを届けることはできないと考えています。

舞台を作るスタッフ、キャストの全てが見せかけだけの愛しか知らないのであれば、それはやはり、うすっぺらいものになってしまう気がします。

愛には色々な形があるからこそ、人の裏切りや信頼、つながりといった部分を表すことによって、物語がより深くなり、また、どんな物語でも、その登場人物の関係性を突き詰めていき、解釈するとなんらかの愛の形が垣間見えると思うのです。

仏作って魂入れずという言葉がありますが、これは、肝心なことが抜けると何もならないという意味で、一番大切なことを忘れたり、疎かにすることのたとえです。仏像を作っても、魂を入れなければただの木や石にすぎないといことからの喩えなのですが…
これと同様に、物語から芝居を創っても、肝心の魂、人の心、想い―――愛が入っていなければ何にもならない、見ていただいているお客様に何も届けることが出来ないのではないか、そう思っています。

さて、色々な物語には色々な登場人物が出、それぞれに関係性があり、その根本は愛情につながっていると思うのです。そこには所謂、愛もあれば、愛ゆえの憎しみ、苦しみ、葛藤など…様々なものがあると感がております。この登場人物たちを舞台上で生かすべく、人間の愛について研究していきます。

今回のメディアについては…
ぼくは演出担当ではありません。しかし、私ども新和座の舞台には「愛」があると思います。
それは座長以下座員全員が、誰かの愛を感じ、それを原動力して創っていると感じているからです。

 

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私のできる事♪

もーくもくもく木曜日♪
木曜日更新担当の松井ともみです♪

1月23日、昨日、お誕生日を迎えました!!(*´ω`*)

ツイッターでは多くのフォロワーさんからメッセージ、ラインやメール、沢山のお祝いのお言葉をいただきました!!
贈り物やイラストなどもいただきました!!
ありがとうございます!!

私なんかに皆さん優しくて、本当にありがたいです…!
でも、新しい歳は”私なんか”と思わず、”私だからできること”を見つけて、これからもお芝居などの活動も頑張って前へ進んでいこうと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

なんてちょっぴり硬い事は一旦置いておいて…♪

今ね!すっごく嬉しい気持ちなのっ!!♪
いつも支えて下さる皆さんのお陰なんだなあって心から思います!!
だからこそ、いただいたハッピーエネルギーを”役者の私として出来る事”で、早く恩返しがしたいです!!♪

役に1番も2番も無いって言うけど、内心は私だって、いつかはカーテンコールで最後に登場してみたいって思うし、公演チラシの真ん中にも載ってみたいです!!♪

これからも一生懸命、いっぱいいっぱい頑張るから、ずーっと見守っていて下さいねっ!!!♪

いつも感謝♪
いつも笑顔♪
明日もキラキラの1日でありますように♪


【王女メディア出演者紹介】報告者役 梨沢千晴

ギリシャ悲劇での殺人場面

ギリシア悲劇の色々な台本や文献を読んでおりますと、ギリシア悲劇では舞台上で殺人場面が出てくる事はないようです。現代の上演形態ではこの限りではないようですが、原作というか、そのままの物語ですと、その死に様は目撃者の証言によってのみ描写され、表現されるようです。
今回、私どもの王女メディアもこの「報告者」の証言が物語を一歩進めます。その内容は殺人現場のことなのか、はたまた、別の「重要事項」なのかは劇場でご覧いただきたいのです!

 

この報告者を…

この報告者を演じますのは、梨沢千晴です。梨沢は今まで、「ロミオとジュリエット」ではジュリエット、「デスマーチシリーズ」では垣田このはなどなど、新和座の舞台では中心となる役を演じてきました。
今回の「報告者」はいわゆるメインキャストではないかもしれません。しれませんが…この報告者が口にする「事実」こそが王女メディアを突き動かす役です。この役に挑む梨沢は持ち前のアイデアをどんどん盛り込み、創っております!
今回いとうと共に演出を努める梨沢。こちらもチャレンジです。演出・演技指導を通じて、自身の芝居にもどんどん変化があるように見受けられます!
梨沢が発しますパワー、ぜひ、劇場にて御覧ください!!

 

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芸術に答えはない。

過去に何回か書いておりますが…私たちは、
『芸術に答えはない。』
と考えております。

正解なんて

どんな物語でもどんなお芝居でも、「正解」なんてないと思いますし、「正解」を求めてつくったりしたら、楽しくないと思っております。
その物語や役について、役者が10人いれば10人分の、スタッフが10人いれば10人分の、お客様が100人いれば100人分の答え、正解があり、どれが一番正しいかということはないと感じております。と同時に正解を求めることが非常に困難だと考えております。

では、なぜ正解を求めることが困難、答えがないと考えるのでしょうか。
正解を求め悩むから「つくる」という行為が終わった後、充実感があるとも思えます。

しかしながら、我々が手がける世界は人が相手の職業だと考えています。―――。万人を満足させることのできるお芝居に私は未だ出会ったことがありません。
演技、演劇にも数学などに用いられる公式のようなものがあれば答えを導きだすのは簡単なように思えます。もし、芸術の世界に公式が存在していたら・・・芸術家、表現者、みな同じものを導き出して気持ち悪いと思います。

 

ただ、やはり、セオリーは…

ただ、やはり『セオリー』的なものは存在すると考えています。
大先輩のお言葉を借りるのであれば、「オーソドックスな表現」ということでしょうか。
そのセオリー、オーソドックスな表現を学んで自分自身で作り直していくというのが最初なのではないかと感じています。

創作をしていて悩むのはとても良いことだと思います。
それは何が正しくて、何が間違っているなんて誰にも判断できないと思います。
(色々な作品を観てそれを思うことは感性を磨く上で非常に大事だと思います。)
お稽古場でダメ出しがあったとしても、単にそれは監督さん(もしくは演出)の創作過程の一つであって、且つブラッシュアップの一つであり、決して正解を導き出すものではないように思います。
なぜならば、もし演技に「正解」があるとするならば、その時に示した演技と同じモノ、寸分狂わず同じものは2度とできないからであります。

 

不正解も答えの一部

細かいことを言うと「不正解」も答えの一部です。つまりは演技というものに、正解も不正解もなく、ましてや完成することなんて、完璧になることなんてないのではないでしょうか。

だからといって、作品を完成させないわけにはいきません。妥協するわけにもいきません。
お稽古、練習を通じて、何度も何度も塗りなおしていって、はじめてそこで”日の目が見れる”という判断を通過して世の中に出て行くものだと感じます。

世の中に完璧な芸術などない、だから悩み続けるのではないでしょうか。そして、毎回新たな発見をしていくのが創作だという気がしてならないのです。

新和座でやっていることも研究成果や方法も単に1例でしかありませんし、けっして答えでも正解でもありません。研究を続けることで別の方法や技法が発見できるかもしれません。

私たちは「芸術に答えはない」という思いを更につづけ、日夜研究して参ります。
今回の「王女メディア」でもそのとおりであります。試行錯誤をつづけ、座長いとう以下一丸となって工夫を続け、正解のない世界に挑んでおります!

そして、2月16日、一つの答えにたどり着いた私たちを是非、ご覧いただきのです!
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【王女メディア出演者紹介】若い女役 森田瓊子

今回は「王女メディア」でのもう一人の主役ともいうべき、若い女-コロス-についてです!

 

コロスの歴史

コロスはコーラス(合唱)という言葉の元になったそうです。古代ギリシャ劇の世界で、悲劇や喜劇が抒情詩的な作品だった時期には、重要かつ主要な構成要素だったようです。

コロスの元々はディシラムというギリシャの讃歌であったといいます。(ディシラムはディテュランボス、ディテュランベ、酒神讃歌(しゅしんさんか)とも言ったそうです。)、元々はディオニューソス神を称えるものだったらしいのです。その熱狂的な讃歌の性格はしばしばアポロンの神への讃歌と比較されると言います。『讃歌を神に捧げる。』これがコロスの大元だったようです。

 

ギリシャ悲劇の中のコロス

ギリシャ悲劇というか、ギリシアで行われた劇は野外で行われる野外劇の形をとっていたので、第○幕というものは存在しないそうです。そもそも幕がないので。
しかし、色々な方々が訳されている訳本では「第○幕」という訳語がついていますが、元のギリシャ語では「エペイソディオン」と言うそうです。
これは主に役同士の対話の場面であるそうで、このエペイソディオンの合間にスタシモンというコロスが歌い踊る部分が存在します。このエペイソディオンとスタシモンが交互に構成要素をなしているのがギリシャ劇の形だそうです。

 

そしてこの”もう一人”の主人公を…

このコロスの中心を、でこぼこギアの森田瓊子(もりた にこ)さんにお願いしております。森田さんは「玩具騎士団」に母親役、「デスマーチ」では声のご出演をしていただきました!
今回、この”もう一人”の主人公である「若い女」を森田さんにお願いしております。
森田さんの役作りは、「母役」の時もそうでしたが、非常に丁寧で、彼女のお芝居を見ているとその世界にグッと引き込まれます。これはホームグラウンドのでこぼこギアさんでももちろん同様で。
これは森田さんが脚本を書かれる、ということにも由来しているのかもしれませんが…森田さんの役が放つ雰囲気・声・仕草は本当に魅力的であります。
古典の世界へ誘う森田さんの「若い女」、メディアの心を代弁するこの役をどうぞご期待ください!

そして、この「メディアの心」を代弁するコロスは、森田さんを中心に、松井、長谷川、梨沢も共に努めます。
4人が織りなすコーラス。どうぞご期待ください!!

 

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俳優を信頼できないで何が演出家か。

選ばれてなるもの…

昔…
僕の師匠が僕に言いました。
『演出家は選ばれてなるもんだ』
と。

これは、才能があるから、というわけでなく…俳優さんに、スタッフに、お客様に選んでもらわないと出来る職業でない、という意味です。
選んでもらうにはもちろん、お芝居に対する才能もあるかもしれません。

今で言えば、制作的な能力もあるかもしれません。
人間性もあるかもしれません…
演出家は…どんな理由でも選ばれないと仕事が進まないのです。

作・演出になったから偉くなったわけでもなんでもなく、役者さんが言うことを聞いてくれるロボットだと思ったら大間違いです。
あくまでも一緒に創っていく仲間なわけです。

そう考えると…演出家は役者を尊敬し、信頼しなければ、選ばれないと思うのです。この部分が欠けたら仕事になりません。
僕の先生はその事を端的に言っていたのだと感じています。

演出家が役者さんを信頼して役をお願いするのだと考えています。
極論ですが、信頼できなければ、自分が携わる作品に出すのもどうかと思います。

 

信頼関係

アルバイトでもなんでもそうだと思いますが、肩書きで仕事をするわけではないと考えます。これも僕の先生の受け売りですが、「威厳ってのは、周りがつけてるもの。肩書きは上からもらうけど、実際は下の人間の信頼がなきゃあ、立場を失う」と言っていました。
いくら仕事で実績を出しても部下の信頼を失ってはいけないということだと理解しています。

話は少しそれましたが、役者と演出家にたとえそれが年齢的上下関係があったにしろ、それ以上に信頼関係がないとできません。演出家がいくら威張ってみたところで、現実に舞台に立つのは役者さんなわけですから。
方法論としての、言葉が悪いとか、叱るとか、悪態をつくというのはまた別のお話だと思います。

俳優を信頼できないで何が演出家か。
作品を愛す事と同様に俳優さんも愛す事が肝要だと考えています。

 

メディアの稽古場では…

ぼくは今回「演出」としては、この作品に関わっていません。
演出はいとう、梨沢、演出協力として石井。
彼女たちはもちろん、ぼくを含めた俳優を信頼してくれているでしょう。そして、その信頼をより強固にそしてさらに進化させていくにつれ、自分の役も作品自体も練り上がってきていると感じています。

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