褒めない理由

最高!それ、最高だよ!

ぼくは舞台作品を作ったり、講座をしている時に『褒める』事が少ない。対する俳優さんや生徒さんとの関係性にもよるけれども・・・何回も一緒にやってもらったりする人に対して褒める事は少ない。
なんかこう書くと、ぼくという人間はものすごくデキる人のようにも読み取れるし、物凄い心の狭い人にも読み取れる。けれども、この『褒めない』というのは理由がある。

演技に対して最大限に「最高!それ、最高だよ!」という褒め言葉を言うのはぼく自身の演技に対してだけだ。しかし、ぼくが演出している作品については自分自身も褒めることは少ない。これは何故かと言えば、ぼくの中で褒める、というのはどこか最終到達点、正解にたどり着いてしまっているような気がしてならないのだ。
つまり、俳優さんたちが努力してくれていろいろ試してくれて作品に厚みがましていく。素晴らしいければ、もちろん賞賛することもある。しかし、それで終わらせたくない、というぼくのどこかひん曲がった気持ちがそこにあるのだ。だから既におわっているぼくの演技には自分で「天才」と言っている。

 

慣れてくると自分の得意なことだけ・・・

不肖ぼくにも、得意な演出方法というか表現方法がある。それが多くのお客様にご賛同いただければ、自信にもなる。そしてそれが回が重なればその方法はもっと厚みが増す。しかし、ぼくは・・・この慣れが悪い方向に行くことが多い。というのは・・・慣れくるとそればっかりやってしまい新しい事にチャレンジしなくなるのだ。
新しい台本、という意味もそうかもしれないが・・・元来怠け者のぼくは、ついつい楽な方、簡単な方に行ってしまうのだ。自分の得意なことだけやろうとしてしまうのだ。だからぼく自信が演出する作品については褒めることは少ない。
新和座の俳優がそうだ、とは言わないけれども、やはり人間はどこか、慣れてくると自分の得意な事だけでやろうとしてしまうものではないだろうか。

どこか人間は安定を求めてしまうというか、慣れてくるとチャレンジすることをしなくなってはしまわないだろうか。

 

昨日の稽古を思い返してみると・・・

昨日、いつもの稽古場が使えなかったので切り替えて録音スタジオで普段使っているギリシア悲劇の台本を録音して聞きながら・・・出来ている部分と出来ていない部分、やったつもりでまったく出来ていなかった部分を確かめることができた。
これをこれから次期公演の稽古に繋げていくにはやはり、チャレンジしてくことが大切だと感じている。つまり、慣れで自分の得意な事ばかりだけではなく、チャレンジして出来ていなければまたチャレンジしていく。
完璧さや美しさを求めて。到達することはないだろうけれども、安定ではなく。常にチャレンジして、少しでもほんのちょっとでも完璧さや美しさに近づけるように。答えが出ても更に答えを求めて。

2017-12-11a