人物を創る。

▼役作りをする上で色々な要素があると思います。台詞やト書きをヒントに喋り方や仕草なんかも想像して創っていきます。

 

▼台詞やト書きだけは与えられた一つの素材であります。その素材から、そのキャラクターの背景や心理状況などを想像して、創っていきます。

 

▼しかしここで、見落としてはならないのは…台詞やト書きだけでは創れない、ということなのです。自分の台詞やト書きはもちろん、相手役の台詞やト書きにも役作りのヒントはありますし、台本に書いていない部分は自分自身で補完することもありますし、むしろ、そうした補完する情報の方が多い場合もあります。

2017-11-13a

▼服や髪型、メイクは役作りの一つにしか過ぎません。服を着て、お芝居用の声(これはまた別の時に書こうと思いますが…お芝居用の声なんていうのはないと思っています。)を出して、髪型をセットして、小道具を持てば、役になれるか、と言ったらそうではない、と考えています。
もちろん、服や髪型、メイクは役に向き合う為には必要です。しかし、きっかけの一つでしかありません。
お芝居は、台詞を暗誦し、決められた動きをし、メイクや服、髪型を決めてお客様に観ていただくものはない、と考えています。

 

▼”人物を創る”という行為が抜けていると役作りだとはぼくは思えないのです。つまり、普段の生活、自分自身を考えてみても。髪型を変えても(今も変えられるんだぜ☆)、メガネを変えても、服を変えても・・・自分という人物がブレるわけではありません。自分のモノの考え方、自分のやりたいこと、やること、自分の生活・・・が変わるわけではありません。
変わる時は・・・環境が変わる時だと感がています。例えば話している相手が親しい人なのか、初めての人かによっても変わりますし、おしっこを我慢している時とそうでない時でも変わると思います。

 

▼服や髪型、持ち物が変わっても役の本質が変わってしまっては本末転倒ではないでしょうか。もちろん、衣装が変わる理由が、”環境”に依存するのであればその限りではないと考えますが・・・役自身の基盤というか考え方、役の生活がブレてしまってはいけないと考えています。

 

▼役作りというのは・・・台本という与えられた素材からイメージを膨らませて、そのキャラクター・役という『人物を創る』行動だとぼくは考えています。