▼今日は6月10日、むとうの日です。
公式なモノではありませんが・・・ゴロで…今日1日は浮かれていようかな〜と思います。
さて、そんなむとうの日の武藤が書く記事ですが・・・むとうの日とは一切関係なく、
『気を抜かない、終わりが大事』
ということについて書いていきたいと思います。
▼お芝居はいわゆる演技の連続でありますが、その一挙手一投足が終わったからと言って、(役者として)気を抜いたりすることはあまり良いことではないと考えています。
▼『残心』という言葉があります。
武道や茶道をやった事がある方は聞いたことがあるかもしれません。
Wikipediaによると
『残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。』
とあります。
▼この”残心”、ぼくが演出している舞台では常に注意して作り上げていますし、お稽古の中でも常に大事にしております。
物語の最後はもちろん、各役の動作の終わりには残心を残すように考えています。しかし、この残心、字の如く『心を残す』ことも一部だと思っていますので、形ばかりでなく、視線や表情、雰囲気と言った所まで心を残す事でお客様に色々な感情を訴える事ができるのではないか、そう考えています。
▼ぼく個人的には剣道をやっていましたので、この残心というものは難しいながらもなんとなくわかるのですが・・・武道をやっていない人にはちょっとわかりづらい部分かもしれません。
▼しかし、日本に産まれ日本の文化というか伝統というか、こうした心の美というものを表す事が疎かにされてはいけないと考えています。
そうした思いを通じて、「美しい所作」が表現できるようにお稽古場でも常に言っております。また、さらに、Wikipediaによると
『相手のある場合において卑怯でない、驕らない、高ぶらない事や試合う(しあう)相手がある事に感謝する。どんな相手でも相手があって初めて技術の向上が出来ることや相手から自身が学べたり初心に帰る事など、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張でもある。相手を尊重する思いやる事でもある。生活の中では、襖や障子を閉め忘れたり乱暴に扱ったり、また技術職の徒弟で後片付けなどを怠ると「残心がない」や「残心が出来ていない」といって躾けとして用いられる言葉でもある。仕舞いを「きちっと」する事でもある。ちなみに「躾け」とは「美しい」所作が「身」につく事を表した和製漢字である。』
とあります。
▼普段の生活の中からも残心を学び、共演者やスタッフ共々、お互いを尊重しながらお稽古することによって、作品の中に残心を表すことができるのではないかと感じています。
また、特殊な場合を除いてお芝居では相手役がいるわけですから、この残心の考えをもって、台詞、仕草を各人がつないでいき、一つの物語としての心が舞台に残るようにしていかなくてはならない、これが肝要であると考えています。
何事もそうだと思うのですが・・・『気を抜かない、終わりが大事』だとぼくは思います。