先へ続く

デスマーチ真っ最中二日目です。観てくださった皆さま、ありがとうございました。
これから観に来てくださる皆さま、よろしくお願いします。
売り切れている回もありますので、劇団にお問い合わせください。

では今週のブログへ……

物はあまり買いません。と言いつつ、流石に何年も使っていると永遠ではないのでくたびれて寿命を迎えてしまうものもあります。
無論メンテナンスなどは気を遣っているのですが、それでも限界はありますね。
特にわたしは物を豊富に持っているわけではないので、休ませることが出来ない分痛みも早かったりするのでしょうか。
かれこれ五年? 六年? 程着ているコートがくたびれてきてしまったので、不潔ではないですがそろそろ次のを検討しなければとコートを見て歩くようになりました。
とは言え、流石にこの時季だと春物も出ている時季なので、次の冬の話という感じで次の冬に向けてあくまで検討中。

先日あるお店でなかなか雰囲気のいいコートを見つけたので、店員さんに素材や形の話などを伺っていると、「でも今買うことはおすすめしません」と言われ。
「袖を直して戻ってきて、それからだともう三週間も着られないと思うので……」

めっちゃその通りなのですが、ここでこうおっしゃってくださるなんて、なかなかないような気がして感動しました。
売っちゃえばいいじゃないってのが当たり前だっていうことは流石に買う側にだってわかっているのですが、ここであえて正直に。

「また次のコレクションでも出てきますし……」

次も絶対素敵ないいものが出てくるという自信も感じるいい言葉。ここで買わなくても絶対次のコレクションに欲しいと思えるものがあるだろう。なるほどー、と思いました。
物をあまり買わない分、買う前は素材やメンテナンス方法や細々といろいろなことを聞くのですが、このお店が本当に好きななんだろうなって方はすべてきちっとした回答を淀みなく下さるのですぐにわかる。あと、お話してくださる時目がきらきらしている。楽しそう。

物ももちろんそうなのですが、やはり避けられないのが「人」だと思うのです。
どんなに物がよくても人が微妙なお店(明らかに不親切だったり、態度が悪かったり……)は行かなくなってしまいますが、物はものすごく好きまで行かなくてもいい人がいるお店ってつい行ってしまう気がします。(私は)
何より、自身の働いてらっしゃるお店やブランドを愛してるんだなあと感じるお店は、商品のことも詳しく教えてもらえるので特にそういうお店には通うようになったりします。
こういうのって大事だなって。

この時はコートは買わなかったのですが、コートを買う時はこの方から色々と聞いて最高のコートを買いたいなあと思いました。
どんな仕事もその場にいればそのことに関してのプロになるわけだと思うので、職種は違っても共通の感覚なのですね。
その場限りの利益を求めるのもやり方のひとつなのかもしれませんが、先に続くのは後者なのかもしれないと思いました。
答えは、安心なもの、自分が何を求めたのかはっきりとわかるものが欲しいからです。

私も自分の仕事には誇りを持って臨んでいきたいと改めて思いました。

そして店員さんも楽しみにしているとおっしゃっていた次回コレクション、いい服があるといいものです。
次の冬前にコートを見に行こうと思います。楽しみがひとつ増えたな。
次も五年……できれば十年くらいを共にできるコートに出会いたいです。

では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


伝えたい気持ち

あっという間に2月ですね。
節分も終わり、次のイベントは新和座公演のデスマーチとバレンタインです。
去年は欲しかったチョコを買い逃してしまってよっぽどショックだったようで、このわたしがネットで!この機械苦手のわたしがネットで!買ってしまいましたよ。
気合入ってるねー。この世で一番大好きな(キモイ。でも本気に受け取らないでくださいね)自分へ買いました!
自己チョコです。無論わたしの脳内では「ジコチョコ」と変換されています。際どいでしょ。流石にあの「じこ」(察してください)にはできない……。

 

ふざけてばかりもいられないのでこの辺から真面目に書きます。ふざけててもふざけてるの似合わないの? か、本気で受け取られるから困ります。
家族へのチョコレートも買いに行きました~。普段お世話になっている感謝の気持ちチョコです。
毎年凄い人ですが、今年も凄い人で、年々あの中を歩き回れる戦闘能力がなくなってきたので、さっさと決めてさっさと退散しました。
チョコレートってなんであんなに高級なんですかね? そしてあんなに人がいますけれど皆さま誰にあげてるんですかね?
星の数程ありそうな世界中のチョコレートの行方が気になる今日この頃です。

 

生きていく上でいかに平常を保てるかということがすべてにおいての完成度(仕事だけじゃなく生活などの)に関わってくるような気がして? いろいろな考え方を学んだり取り入れたり勉強したりしてきたここ数年ですが、途中経過としてわたしの思ういい感じの考え方というようなものが定まってくると割と安定するように。
よく言われていることですが、まずは限りがあるということを忘れないことでした。
限りなく限界まで極めても限界はある、ということです。わたしはきっと天才、非凡じゃないし、神様でも当然ない。
限界を突き詰める努力はしても、どこかに限界が存在する。
これを忘れると、ぼろきれみたいになります。本当に。睡眠時間も精神的にも酷使することは可能ですが、万能ではないので単純にやった分だけ完成度が上がるわけではありません。上手く、それらを保てるところを見極めて、その手前でやめなければいけないし、そうしないと下手すると余計に完成度が低くなるという変な状態になります。
でも妥協ではありません。できるのにやらないのとは違うので難しいです。

 

同じ状態で居続けることはできない。推移します。
どんなに努力しても、生まれた瞬間から死ぬ時まで同じで居続けることはありません。
その時でしかできないことがきっとあるし、いつまでもそれにすがりつくことはできない。時が来たら手に入れたり手放したり。
手放す時が来ても、それは悲しいことではないのだと思えないと辛いですね。同じ状態が続かないという事はそういうことだと思います。
能力は上がったら、いつかは衰えます。どうしようもないことだと思います。(衰えた自分を肯定したいとかじゃなくて。無論まだ私は人生の途中なので頑張らなければいけない)
そして、今はその上り坂にいるとしてもいつかは自分も絶対に下り坂を歩く日が来るということを頭のどこかに置いておくこと。その時が来たら素直にそれを認める心を作っておくこと。
すべてのことには終わりがあるのですね。これは最初の限りがあるってことと同じことなのですけれど。

 

ゴール(平均寿命で仮定して八十数年)に向けて一番したいことを考える。
三泊四日の旅に出るのだって、その中で一番見たいものを計画して出かけると思います。そんなイメージです。
たとえば、京都に行くなら清水寺には絶対に行こうと決める、みたいな感じで、この人生で絶対入れたいプランを決める。
あとは、よくも悪くも、八十数年長くても百数年経ったら、ゴールに行かざるを得ないのだということを忘れないこと。

 

終わりは絶対に来るのですね。
そう思うと、気楽になるし、別の意味ではこうしちゃいられないと気が引き締まります。
でも所詮その間の出来事なわけで、地球や人類の壮大な歴史のほんの一部に過ぎないということを思うと、自分の小さい悩みが本当に小さすぎてゴミみたいに思えます。(人それぞれそうじゃない悩みもあるのでこれも簡単には言えませんが)
保ち続けなければいけないものなんて本当はないんです。思っているほど。
限りがあるというその前提だけで、大分物事は軽くなりますね。

 

今の若い方に向けて。話を聞いていると真面目すぎて、ひいいって思うことがあります……。(お前が適当なだけだろとか思われてたりして。ひいいー)

 

あとは人は自分の鏡……とか因果応報とかいろいろありますけれど、その辺ももう面倒なので、とりあえず、相手にどうされても自分はやらなきゃいいやって。
嫌なことを。
自分がされたら嬉しいことを人にする、に限ります。
仕事もそうだし生活もそう。上手くばれないようにやってたってどうせ見える部分しか信じないだろうと思ってたって、そう甘くはないのですべて透けて滲んで見通されてしまいます。特に人生の先輩になんかは。(書いてるけど別にばれるからやらないってわけではありませんけれど。念のため)
ただね、嬉しいことをされたら嬉しいと思うんですよ。だからそれをすればいいんじゃないかなあって、それだけなんですよ。
それでありがとうって思われる自分がいいんだろ? 酔ってるんだろとかいう意見もありますけれどね、そういうパターンもあるかもしれないですけどね、それでもそれはそれでいいと私は思います。理由なんて人それぞれ。人を傷つけなきゃいいんです。
わたしは自分が褒められたような人間ではないと思っているので、そういうのはめちゃくちゃどうでもいいのですけれど……。まあいいや。どういう風に言ってもこの辺の微妙さは微妙ですね。言い訳すればするほど怪しくなる……。

 

特に、今させていただいているお仕事。
今週の新和座ブログにも似たような記事があったかと思いますが、こういうお仕事って、なくても生きていけると思うんです。
お芝居見たからってお腹が膨れるわけじゃないし。

 

それでも存在していて、楽しむために観に来てくださる方がいるって本当にありがたいことだと思うんです。
人生の中の貴重な時間を使って、お金も使っていただく、ということはある意味その方の命の一部をいただいているのだと私は考えているのです。
時間も、使うお金を稼ぐ時間も人生の中の一部ですから。
なので私も毎回、やらせていただいたお仕事は命をかけて臨んでいます。
だからと言って必ず伝わるわけじゃないし、だからと言って観てくださる方の望むクオリティや役に絶対になっているわけでもないと思います。
ここがなかなか難しいところなのですが、もちろんそんな神様みたいなことは不可能なのですが、今できる私の限界で、楽しんでいただけたらと思っております。そういう気持ちではいます。ということです。

 

なんかこういうことを書くとどうなんだろう? って凄く悩むんですけれど、たとえば……
凄く美味しいケーキ屋さんがあるとして、
食べただけでも、凄く美味しいなあって思っていたけれど、ある日そのケーキ屋さんが厨房の写真と、材料を公開したとします。
当然だけれど、食べ物を作るのに大前提として清潔な厨房、そして、技術以前に、こだわった材料。国産の○○というブランド粉を使用していたり、フランス産の○○バターを使用していたり、オーガニックの○○砂糖を使用していたり、というようなことを知ったら、より安心感があるというか、イメージが湧きやすいというか、ありがたく感じるというか、そんなイメージで考えていただけば。

 

もちろんわたしは、ただの一役者に過ぎないので、上記に当てはめるには大分無理がるというか厚かましいのですけれど、(そもそも食べてただけでもおいしいって思ってもらえてない可能性が……すみません)調理のためにいつでもキッチンは清潔に保っているし、今できる最大限の技術を使ってわたしがいいと思う材料で作っております(芝居ですが)ということをたまにはお話させていただいてもよいのかな? と。いくら技術があっても大前提がなってなきゃだめだ! と言う感じ? 大前提だけはなんとかなっております。
私は上記のような記載があったりすると、ありがたかったりするので。でも、なかなか役者に当てはめると……うーんという感じはありますが。

 

なかなか公開の範囲が広まる程、なるべく多くの方に理解いただけるように、と考えると話もテーマも絞られてしまうのですが、限りがある、限界があるということを考えて、たまにはこういうことを書かせていただいたりしております。
わたしが読んだらめんどいなあんた! って文を書く……。よく友達にも指摘されますが、まあこの辺は万能じゃないので仕方ないです。
パクチーを愛するように楽しんでいただけたらと思います。好きな人は好きですけど嫌いな人はめちゃ嫌いですよねパクチー。

 

そんな私は近々では噂のデスマーチに出演させていただいております。
声のみなので探していただけたら! 沢山の方に楽しんでいただけますように心を込めて命を懸けて演じました。
よろしくお願いします。

 

では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


過ぎてしまえば

昨日は寒かったですね。今日はいいお天気で、太陽の光があたたかく部屋の中にいても心地いいです。

 

太陽のおかげか、今日は昨年末にお迎えしたサボテンちゃんがピンクの花を咲かせております。
このサボテンちゃん変わっているのです(いや、私が知らないだけできっとそういうものなのでしょうけれど)花が咲いたり、閉じたりまた咲いたり。
単純に朝になったから開くというわけでもなくなんだか不規則。一体どういう条件で咲いてくれるのかわからないのですが、突然咲いてくれるので「おっ、今日は咲いてるのかあ」という驚きと喜びがあります。思わずほころぶかわいさ。
亡くなった祖父母が花を沢山育てていたのですが、子供の頃の私はその良さがよくわからず。今なら凄く気持ちがわかります。
あー。花は素晴らしい。なんだかこう生きているものや儚いものの生命力に惹かれるんだろうなあ。
言葉じゃないところでする会話も好きです。
話しているわけではないけれど、話はできるものなのですね。必ずその通りに伝わらなくても、言葉だって必ずしも真実とは限らないからどちらにしても同じだと思いました。
大切なのは、想像することや慮ることや寄り添うことで、上辺だけの言葉を交わすよりも真実の会話ができるような……といいな、という段階ですけれど。

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認めることの大切さ

人生で繰り返していく別れ。人とだけではなく、すべての物事と繰り返していかなければいけない別れ。
最後には自分がこの世界から別れなければいけないわけですが。
別れというものを考えていたせいか、そんな夢を見て、他にも何か夢を見ていたはずなのにそれらを忘れてしまったばかりに別れの夢ばかりが印象に残り、それが初夢のような気がしてしまう。という少し悲しさ。

 

でも別れというのはきっと悲しいだけではなく、別れの先には形の違う新たな出会いがあると思うので、諦めるという意味ではなくあらゆる物事の限界を知って、愛情を持って突き詰めていきたいと思うのです。
他者に対して、自分に対して。
甘すぎるのと愛情を持つことは違うことですね。永遠とか限界がないと考えるのは現実的ではなく、あるものの中からしか作れるものはないし、それらを超越する奇跡なんてない、ということをちゃんと頭の片隅に置いておかなければただ苦さだけを与えてしまったり、感じることになるのかな、と。

 

そういう種類の優しさに気付けた。……気がする2017年の始め。
なんだかとても、とてもしっくりきたのでした。
気合や高い目標は大事だけれど認めることを認めなければそれこそ傲慢だと。
人生にはその時々で気づきがあるから楽しいです。苦しんだり悩んでも、その中にも光と言うか救いというか、そういうものがありますね。

 

考えている間にすっかり遅い時間になってしまいました。そんな日もあります。
では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


2017年

2017年になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

 

クリスマスイブの更新が2016年 最後だったので、さりげなく最後を終えてしまいました。
今年も始まってもう7日目であります。あっという間!

 

お正月も三日目には終わっている感じなので、意外とあっさりしていますね。
そもそも1日から活動的な私は(普段は全く活動的じゃないんですが、一年で一番活動的なのが1月1日と2日なんです。)
なんやかんやと動き回っているうちに2日が一瞬で過ぎていきました。

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クリスマスイヴです

24日です。メリークリスマス!
ケーキはすでに2つ目。
後一つ控えております。限界が三つくらいだと思っておりますが、魅力的なケーキは沢山あるので、毎年絞るのが大変です。
年々増えるこだわりの華やかなケーキたち。有名店や有名パテシェの趣向を凝らした素晴らしいケーキがカタログを埋め尽くし、見ているだけでもため息。
その中から選ぶひとつ! 無理ですね。ひとつは無理です。
10月くらいに予約して、今だから結構長い間眠らせていることになる予約票ともようやくお別れ。
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年末に向けて……

年末の算段を間違える。
間違えるって言っても間違ってるレベル半端なく。余裕で一週間ほど世間からずれていたりすると、流石にこんなんじゃいけないなあと思いながら毎年直せない。
せっかく用事を済ませにいって、何かひとつを忘れてくる。
何か忘れてるなあって引っかかっているのに思い出せず、帰り道で思い出す。
そんなことばっかり。

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