見て盗み、やって覚える

言われてないこと?!

私が行うワークショップだったり、講座を担当している生徒さんだったり・・・お芝居を始められたばかりの方から聞くことで
「おや?」
と思うことがあります。

それは…
「それは先生に教えてもらわかなったから」
とか
「ここは演出の先生が言っていなかったので考えていない」
とか…
こういうことを耳にする時です。

盗むということ。

どんな仕事でもそうだと思いますが、『これで全て』ということはありません。
もちろん、学校や養成所では限られた時間、練られたカリキュラムの中で制限いっぱいの内容であることは間違いないと思いますが…それでも”全て”ではないのです。

どんな仕事でも先生や先輩のやっていることを見て盗み、真似て…
やってみて、そしてそれを感じ、自分で手放しで出来た時に初めて理解したことになると思います。

この”見て盗む”というのは本当に学ぶ姿勢がないとできないことだと思います。
真摯な姿勢はもちろん、レッスンやお稽古中に全ての意識・神経を――― 一瞬だけでも ―――集中させて、先輩や同期、後輩や先生を見て、自分とどこが違うか感じ考え、とにかく真似てみる。
なかなか簡単なようで難しい事です。
見る、認識する、真似る。言葉で書くと簡単なようですが、そうではないのです。
ただ見るだけではなく、仕草や筋肉の動き、喋り方などなど自分と違うところをよく見る。
その違いをどう違うのか認識する。
そして、それを真似てみる。
…まずこの”よく見る”というところを意識すると”盗む”につながると思います。

見て盗み、やって覚える。
どんな仕事でも必要な姿勢だと思いますが、ことお芝居に関しては必要不可欠な行動だと私は考えています。


片付けも最初の一歩から。

夜遅く帰った日に…

夜遅く帰った日に…部屋の中にカバンを置き、台本を出し、持っていった機材を出す。
一日に使ったものを総て部屋の中に出す。

部屋が散らかります。
朝出た時とはまったく違った風景。

この散らかったままで寝てしまうこともできます。
しかし、片付けると「次使う時、スムーズに使える、整理整頓ができている」という素晴らしい事が待っています。
・・・めんどくさい。

このまま片付けないか・・・片付けるか・・・

片付けはじめると、時間はあっという間です。
単にぼくがものぐさで、面倒くさいから片付けない、片付けたくないという思いが出てきたのでしょうが…とっちらかった部屋も、最初の一つを片付けると・・・次へ次へと片付けが進みます。
最初面倒くさかったのが・・・思い込んでいたよりも早く片付きました。

最初の一歩、スタートさえできれば、どんどん進むのではないか、と感じました。

 

お芝居も

お芝居も…公演時には非常に大きな作品になります。どんな作品でも。
そして、その大きな作品は…自分ひとりでは作れないものです。

一人の第一歩、はじめがあり、
出演者、スタッフの分、そのはじめの一歩があります。

大きな事もいきなりできるわけではありません。
一人の第一歩が集まって・・・一つ一つ積み重なっていき…大きな事ができていくものだと感じています。

王女メディアも
座長以下出演者、スタッフが最初の第一歩を踏み出し、あるき続け、作り続けたからこそ、公演を迎える事ができます。
もちろん、途中「面倒だ」と思うこともあったかもしれません。
しかし、誰一人として「面倒だ」と投げ出さないからこそ、大きな作品が成就するのだと考えています。

はてさて。
ぼくらの第一歩、一歩一歩があつまった「王女メディア」。
どのような物語になっておりますでしょうか、是非、劇場にてご覧いただければと存じます☆
公演の詳細はこちらを御覧ください♪
皆様のご来場、心よりお待ち申し上げております!


観に来ていただきたい気持ちがどんどんあがってきております!

観に来ていただきたい気持ちが…

今までの作品ももちろんそうですが…
公演まで1ヶ月を切りますと・・・どんどん…観に来ていただきたい気持ちが増して参ります。

前回の記事でも座長のいとうのツィートを紹介いたしましたが…座長以下出演者・スタッフ一同、どんどんアツくなっております!
不肖武藤、出演するから、というのももちろんありますが・・・今回の「王女メディア」、是非、皆様にご覧いただきたいのです!

ぼくらが今まで作ってきた「王女メディア」とはひと味もふた味も違っています。
改めて思うのが・・・古典作品というのは日々変化していくんだな、ということです。
古典の世界がぼくらによって日々変わっていくような感覚があります。非常におこがましい書き方ですが…

こうした変化してく作品はやはり生きていると思います。
昨日よりも今日。今日よりも明日。
同じことをしているようで、少しずつ少しずつ変化していく。
その変化は小さいかもしれませんが…確実に変わっていく。

その変化は気づきにくいかもしれません。
しかし、その変化に気付くことで…次回の稽古がまた変化すると感じます。

どんどん変化していく「王女メディア」の世界。
ぜひぜひ、ご覧いただきたいのです!!!
ご来場、ご検討よろしくお願いいたします☆
公演の詳細は、こちらからご覧ください♪♪


平成31年1月27日のお稽古☆通し!通し!通し!

盛りだくさんの稽古日

公演まで1ヶ月を切りますと…新和座は公演にむけて全力になります。
基本的には週2の練習日、週1の稽古日になってきておりますが…時間はいくらあってもたりません。

その中でも…
日曜日の稽古は非常に盛りだくさんでした☆☆

いろいろと盛りだくさんではありますが…
今回の稽古のメインはやっぱり『通し』であります。
音も入れて、どんどん通しております!!!
作品はどんどん練り上がってきております!

座員のツィートにも充実感や試行錯誤が見ていただけます!!

まだまだ練ります!

座長が申しておるとおり。
現状を守る稽古ではなく、常に挑戦する稽古。
気付いたものをまた次に活かす稽古。
そうした稽古を繰り返し…作品をどんどん練って参ります!!!

そして☆盛りだくさんのひとつ。

梨沢が準備したケーキ。
座のいちご姫こと、松井ともみのお誕生日のお祝いです☆☆
出演者、稽古場に遊びにきてくださった林さんにもお祝いいただきました☆ありがとうございます♪♪

通し!通し!通し!
そして、いろいろと気付く。
そして消化し、自分の中で更に練り上げて…
次もまた通し!通し!通し!です♪

劇団新和座ネクストチャレンジシアター『王女メディア』
公演の詳細はこちらから御覧ください♪♪
是非、皆様、ご来場ください!!!


台詞と台詞の間に。

よくお芝居をしていると…「サブテキスト」という言葉を聞きます。一体サブテキストとは何なのでしょうか。 行間を読むとも言いますし、行間を創るとも言ったりします。一体サブテキストとはなんなのでしょうか。

 

サブテキストとは…

台本には色々な事が書いてあります。

登場人物の台詞はもちろん、ト書きの中には登場人物の行動や心理状態、物語の時代や舞台設定なども書いてあります。しかしながら、台本には全てが書いてるわけではありません。

物語が始まって終わるまで登場人物の一挙手一投足が書いてるわけではないのです。

しかし、舞台上で登場人物は常に’何かをして’生きています。つまり、俳優は台本に書いていない事も創る必要があるわけです。その書いていないことを自分で想像して創造していく、これの元になるのがサブテキストです。

 

芸術に答えはない

ぼくは「芸術に答えない」と考えています。これは…例えば同じ物語を10人のお客様がご覧になったとして…その10人のお客様が100%、欠けることなくご満足されるという事はない、と言う意味です。

もちろん、お芝居にはセオリーはもちろんありますし、より多くの人が納得し、満足する事も当然あります。しかし、それでもそれは答えではないとぼくは考えています。この「芸術に答えない」という話はまた別の機会にするとして…今回の「サブテキストを読み込む目的」というのは…この答えに少しでも近づく為の謂わばヒントです。

先ほどの例でお客様が100%満足しないまでも、役者(演出も)がお客様に自分たちの姿を見てもらって、より多くの納得を得るにはどうしたら良いか。
より多くの説得を得る為にサブテキストを読み込む、創ることは欠かせない行為です。

 

源泉はイメージ

演技は…色々な技術・技法はもちろんありますが…源は役者さんがイメージする事です。イメージしたことが台詞となり、動きとなってくるのです。つまり、このイメージがぼんやりしていたらぼんやりとした演技に、詳細であれば…生き生きとした演技になってきます。

つまりこのイメージを膨らませるために、サブテキストを読み込む、時には創るのです。イメージを詳細にするために、ト書きには書いていないこと、台詞には書いていないことを読み込む必要があるのです。

 

サブテキストはどこに?!

では一体どうやってサブテキストを作っていければいいのか。 詳しい創り方はまた別の記事で書きたいと思いますが…サブテキストの創り方、読み方の根幹は…「台詞」と「台詞」の間、「台詞」と「ト書き」の間、「ト書き」と「ト書き」の間を補完する、補うことにあります。

最初にも書きましたが…役は舞台上で生きています。ですので常に舞台上で何かをしています。しかし、その役の一挙手一投足を台本に書いていたら膨大な量になってしまいます。ですのでその書いていない部分を補うわけです。

例えば相手役の台詞を聞いている時の自分の役の表情、動作、息づかい・・・次の自分の台詞を喋る前の動作・表情など…台本に書いていない情報を台本から読み込むこと、これがサブテキストの基本だとぼくは考えています。


100円って大事。ぼくらの演技には100円の価値もない?!

時給985円

今の東京の最低賃金が時間あたり985円だそうです。1時間働けば時給985円は保証されるということです。この記事でこの最低賃金が云々と書くつもりはありません。

ぼくらのような劇団が公演をしてお客様から木戸銭を頂戴し…それをすべて足し、かかった費用を引き、いわゆる利益をスタッフ・出演者で均等に分けたとします。稽古時間などを考えると、この最低賃金には届きません。それどころか時給にしたら100円に満たないかもしれません。

だったらバイトしていた方が稼げます。同じ時間を使うのだったとしたら、アルバイトや違う仕事をしていた方が稼げます。
であれば・・・何故、ぼくらはお芝居をしていくのか。作品を上演していくのか。これはまた別の機会に書きたいと思いますが…目的があります。お芝居をやっている目的があるのです。
もちろん、お金は大事ですし、大切です。
しかし、お芝居にはお金以外の目的があるのです。そう…生きる目的といいますか…

 

100円の価値

今回の記事は…果たしてぼくたちのお芝居は「100円」の価値があるのか、という事を考えてみたいと思います。

お金をもらうということは非常に労力が発生することです。アルバイトなどでもそうだと思いますが、仕事が終わった後には(爽快、爽快でないに関わらず)心身共に疲れていることが多いと思います。

お芝居も同じです。仕事として捉えたら、アルバイト後のような疲れを感じないとおかしいのです。

もし、公演や稽古が終わって、疲れていなければ…それは全力を尽くして取り組んでいたのかと考えてしまいます。

お金を得るというのは大変なパワーがいることです。ですので、お芝居をしていてもそれだけの、それ以上のパワーを使っていくことが必要ですし、そうしないと稼げません。

万一、パワーを使わずに…何かのきっかけでお金を得たとしても、それは運がよかっただけなのかもしれません。

あくまで私見ですが労働は貴重なものであり、職業に貴賎はありません。お芝居を仕事として生業にしていくのなら、アルバイトと同じように覚えること、作りこむこと、技術を研くこと、発見すること、挑戦すること、学習することはあたりまえのようにありますし、更には、傷つくこと、ストレス・・・時には叱られる時もあるでしょうし・・・お客様にほめていただくこともあれば、不条理なことも、理不尽なこともあるでしょう。

こういう事がなどをすべてを乗り越えてこそ、対価が得られるものだと思います。楽しさも辛さも大変さも、演劇や演技の仕事だから少ないということはありません。お金をもらう為には辛いことも苦しいこともその先の達成感も全てを受け入れなければいけません。

お金を得ることは非常に貴重で大変なことであります。果たして、自分たちのお芝居はお金をもらうに値するのか…全力を尽くして取り組んでいるのかは…最低でもこれはクリアしなければ、お金はもらえません。

ぼくらのお芝居は・・・100円の価値がありますでしょうか。
ぼくらのお芝居は100円以上頂けると自負して、稽古に励んでいます。
そうでなければ…お客様に観ていただこうとは思えないと考えます。

そして、ぼくは舞台演出に、制作に、今回は出演に、総てにおいて全力を尽くして挑んでおります。
しかし、ぼくもサボりがちな人間ですから…「ぼくはお金をいただけるのか」と自問しながら取り組んでおります!

今回の王女メディア。
是非、御覧ください!!!
王女メディアは2月16日から!
公演詳細は↓をクリックしてください


新和座の舞台には愛がある。

これは何回か色々なことろで書いていると思います。
ぼく、武藤の演出家としての思想と言ったほうがいいかもしれません。
お芝居というものは『人間の愛』だと思っています。

愛と言っても色々な愛の形があります。
親子愛・ 夫婦愛・恋愛・友情・兄弟愛・師弟愛・動物への愛・物への愛
などなど・・・

色々な愛の形がありますが・・・
お芝居というのはこういった愛が根本にある気がしてなりません。
ぼくはお芝居において究極に表現したいことはこの「人間の愛」なのです。

どんな物語にもどんな舞台にも人間の血の通った愛がなければ、人の心は動かないと思っています。
例え、悲劇であろうとも、その裏には人間の愛が絡んでいると思います。
例え、喜劇でも、その裏には人間の愛情がなければ笑いを届けることはできないと考えています。

舞台を作るスタッフ、キャストの全てが見せかけだけの愛しか知らないのであれば、それはやはり、うすっぺらいものになってしまう気がします。

愛には色々な形があるからこそ、人の裏切りや信頼、つながりといった部分を表すことによって、物語がより深くなり、また、どんな物語でも、その登場人物の関係性を突き詰めていき、解釈するとなんらかの愛の形が垣間見えると思うのです。

仏作って魂入れずという言葉がありますが、これは、肝心なことが抜けると何もならないという意味で、一番大切なことを忘れたり、疎かにすることのたとえです。仏像を作っても、魂を入れなければただの木や石にすぎないといことからの喩えなのですが…
これと同様に、物語から芝居を創っても、肝心の魂、人の心、想い―――愛が入っていなければ何にもならない、見ていただいているお客様に何も届けることが出来ないのではないか、そう思っています。

さて、色々な物語には色々な登場人物が出、それぞれに関係性があり、その根本は愛情につながっていると思うのです。そこには所謂、愛もあれば、愛ゆえの憎しみ、苦しみ、葛藤など…様々なものがあると感がております。この登場人物たちを舞台上で生かすべく、人間の愛について研究していきます。

今回のメディアについては…
ぼくは演出担当ではありません。しかし、私ども新和座の舞台には「愛」があると思います。
それは座長以下座員全員が、誰かの愛を感じ、それを原動力して創っていると感じているからです。

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細は↓をクリックしてください