はじめての……

迷走を続けた一週間。
常に考えるの好きだよねって言われますが何かの節目はその考えるの割合が増し増しになるので、いろいろ考えていました。
よりよくするための悩みはつきません。
なんせ人生はたったの一度きり。取捨選択が辛い時もあります。ああもっと時間がほしい。
経過していて戻ることはないし、歳も重ねていく。ということを考えると、常に今の自分という想定ではいられないし……。
久しぶりの友達と話したりしても、話す内容が驚くくらい変わっていたり。ああ大人になったな、と。とっくにいい大人なんですけれど。
だってわたしたち、子供の頃は漫画とアニメの話しかしなかったのにね。

トマトを育てることにしました。
最初に安い鉢を見つけたので鉢だけ買っておいたのですが、実際苗を買いに行った時に専門家にお話を聞いたらその鉢では全然だめで……。
そいや土もないしな、とか、支えるものも必要だとかいろいろなことが発覚し、そういえばそうだよなあとは思いつつ、選びながらこれ、なんだかんだ三千円仕事なんじゃないか……とうっすら予感が的中。ぼんやりとそこまではかからないと思っていたのですが。

 

ほぼほぼ三千円で、予定していた二株から一株へ減らしてね。
結構場所を取るものだったんです。深さが必要で、予想していた鉢より倍くらいの大きさだったのかな……。もっとかな。深くなった分、土の量が増えて金額も高くなったのではないか……。
気軽に、プチトマトとか育てたら新鮮トマト食べ放題だし食費浮くじゃん! と安易な考えで突っ込んだわたしおばか。
ここ最近はペットのように植物をかわいがってきましたが、トマトちゃんは本当にいろんな意味で手間のかかる子でした。
もう、苗とか植木鉢とか土とか一式持って帰るだけで大変な重労働でした。犬を初めて飼った時に、わんちゃんスターターセットみたいなのを買ったのを思い出しました。
生き物はどんなものでも同じですね。

そしてそんな素人向けにご親切にスターターセットがあるのも同じ。
想定していた金額よりどんどん上がっていくのも同じ。

 

わんちゃんの値段だけを見ていたらスターターセットと予防接種料金が足されていって、数万円跳ね上がった時は目を剥いたものです。
トマトちゃんを買う時にあの時のことを思い出しました。三千円で済んでよかったです。
プチトマト平均ワンパック二百円くらいだとして十五パック分くらい収穫できるとよいのですが、最初だからそう簡単に上手くいくとは思えませんが……(下調べしなさすぎて自信を失った←)もちろん生き物なので買ったからには大切にお世話はしたいと思います。
そう、これまでだって枯らしたくて枯らしたものはひとつもないのですよ。植物は(も、ですね)難しいのです。
水やり三年って言われているそうですが、どんな業界でもそうなのですよね、なんとか三年ってよく言われますが、とりあえず三年やらないとスタート地点にも立てない。みたいな。

↑こんなことをごちゃごちゃ考えながら、三千円って凄いなあ何日分の食費だろうとか考えながらトマトを抱えてとぼとぼ帰り道を歩き。
順調に行けば七月中旬か下旬には収穫できそうなので、ショックなことが起きなければきっとここに結果が発表されるでしょう。
上手くいくといいなあ。今年の夏はトマトを買わずに済むといいなあ。
旬になるので安く買えるはずなのですが、トマトは昔から大好きなので自分で作って自分で食べることができたらなおよしですね。

 

それにしても最近のわたしはどこへ向かっているんだろう……自分でもわからなくなってくる時があります。
生きるって壮大。
そして、花の茎とか枝が折れちゃったりすることで半端なく落ち込むわたし。本当の悲しみってこういうこと?
努力してできなかったものは努力不足だとどこかで納得できるけれど、どちらかといえばこういう類のことの方がわたしは落ち込んでいる気がします。
悔しさとは違う落ち込みですね。
……いけないいけない。やる前から落ち込んでどうするんだ。

 

コーヒードリッパーを使い始めました。

毎朝コーヒーはコーヒーメーカーでいれていたのですが、結構前からドリッパーもいいなといろいろなところを見てまわっていて、いいなと思ったものを見つけ。
他のお店では見かけない独特の質感と風合いが気に入ったのですが、何しろ物を増やすのが苦手な上に少し高級だったもので。
数か月だか一年くらい悩んでいたのかな。

 

最終的に家族にプレゼントされるという。いつもこんなんばっか。
コーヒーメーカーはセットしてボタンを押すだけという簡単で便利でおいしいコーヒーができる素晴らしいものですが、ハンドドリップは時間も使い贅沢なものであります。
時間がかかるので、コーヒーは食後になりましたが、コーヒーメーカーとはまた全然違った味わいが楽しめるので、毎日コーヒータイムを楽しんでおります。
贅沢な時間です。 ここまで味が違うとは。
コーヒーを飲み始めた時はミルクをたっぷり入れなければ飲めなかったのに、気付けばブラック派になっていました。
人は変わっていくものですね。そんなことを考えながらちみちみコーヒーをいれる。
豆の膨らみを見たり、ぽたぽた零れていくコーヒーを見たり、香りをふんふん嗅いだり。なかなか楽しいです。
本当、毎日おんなじことなんですけれど、おんなじことをできるというのはある種の幸せであります。

 

ドリッパーは理想通りなので次は下に置くポットを探したいと思います。
直接マグカップでもいいのでしょうけれど一杯ずついれなきゃいけないとなると少し不便で。
またきっと何年か後になるのかもしれませんが気長に探したいと思います。これもそんなんばっか。
物の扱いは困ります。
気軽に捨てられないから気軽に買えません。少ない物に囲まれて生きていきたい願望もあるけれどミニマリストにはなれないだろうな。物捨てられないから。
そんなわけで、おばあちゃんになっても使えるようなものを探したいと思います。
割とどんなものでもそう思って探してはいるけれど、結局人なんて変わっていくからそう信じていてもそうならないかもしれないのに不思議ですね。
もうそう信じることしかできないのに。
わたしは本当に数十年経っても同じものに価値を見出せるのでしょうか……。ううん。全くわからない。
そんな不毛さに苛まれながら結局そうする不毛さ。ああ不思議。

 

というかコーヒーもあまり凝りだすと、もっと勉強したくなっちゃうから気をつけなければ。
わたしはどうも少しだけ齧るということが苦手なようです。
コーヒーは自分が少し楽しむだけ。楽しむだけ。それだけ。

 

では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


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