身命を賭して

▼よくぼくは「一生懸命やったんですけど、ダメだったんですよね」という言い訳をする。
けっこう良い大人なんですけれどもね。言い訳をしてしまう時が多い。

 

▼ぼくがお芝居をやっている目的はここには書かないけれども、確かにある。この目的だけはブレることはないと思っている。けれども・・・結果言い訳をする時がある。

 

▼「一生懸命やったんですけどね」と。そして一人になった時にもう一度考える。「本当に一生懸命やったのか」「努力を尽くしたのか」と・・・

 

▼人間は失敗をする。ぼくはよく失敗をする。でも「やらなきゃ良かった」「言わなきゃ良かった」ということはあまり思わない。対外には「やったんですけれどもね」とカッコつけて言い訳をする。しかし、失敗をした時に・・・本当に一生懸命やったのか。一生懸命やった方向は間違っていなかったのか。そもそも向いていたのか。と言ったことを考える。

 

▼他人にカッコつける為に自分と闘うことを避けてはいなかったか。自分の保身の為に他人と闘う事を避けたんじゃないだろうか。こうした思いが一人の時に心の中に響く。

 

▼もちろん、お芝居をしていたりモノを書いていたりなどなど仕事をしている時は夢中だ。ありがたいことに仕事を頂けている。しかし、その仕事の量にかまけて、自分の生きる目的・お芝居をしている目的を忘れてしまっていることがやっぱりある。

 

▼一生懸命やっているのにうまくいかない、と愚痴る事もある。しかし、それでは前に進まない。本当にこの身体を心を賭してやっているのか・・・自分自身で語りかける時がある。うまくいくために自分を変えることも厭わない、やれることを全てやっているのか、と。

 

▼目的がブレればこうしたことは出来ないと思っている。生きる目的・お芝居をやっている目的という強い意志と情熱を(忘れてしまうことはあっても)常に思い出していきたい。この強い思いこそが懸命になれる基盤だ、とぼくは感じている。

 

▼自分のやり方や考え方を変えるのは怖いし、恐ろしい。しかし、目的が変わってしまうことはもっと恐ろしい。ぼくは言い訳する自分をもっと少なくしていきたい。新和座で芝居をしている以上、ぼくとぼくの仲間たちはお客様に大切な時間とお金を支払ってもらって観て頂く作品を創る上で・・・「一生懸命やったんだけど」と言い訳することなく、やれることは全てやっていく。

2017-11-27a


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