どうやら我々は、同じ鳥を見て、違う鳴き声を聞いているようだな・・・

▼ぼくが大好きな漫画「ゴルゴ13」の主人公、デューク東郷がこんな台詞を言っています。
『どうやら我々は、同じ鳥を見て、違う鳴き声を聞いているようだな・・・』

▼お芝居をしていく上で・・・例えば同じ台本を俳優が10人、スタッフが10人読んだら、20人分の解釈が出てきます。20人が20人、100%同じ解釈を持つ、ということはまずないのではないでしょうか。おおまかに同じだとしても、細部が違っていたりします。

▼同じモノを見たり聞いたりして、全く同じ感想を持つ。これってぼく個人としては恐ろしいことだと思っています。だって、人間は生まれも育ちも環境も違うわけですから感性はまったく違ったモノになってきます。

▼しかし、

お芝居を創る上においては…20人がバラバラになってしまってはあまり意味がありません。もちろん、解釈や見解を総て100%同じにすることはできませんから、どこかに拠り所、まとめといったものを持つことが大事だと思っています。多くの場合それは演出者の解釈が優先されるのではないでしょうか。しかしながら、演出者の解釈がお客様への訴えかけ、そのお芝居に対して「正解か」と言えば、それも不確かなものではあります。

▼ですので、解釈が俳優間、スタッフ間でも納得がいかなければ、議論をすることは非常に大切だと思っています。(これはまた別の機会に書くことにしますが、議論をする上では役者個人の都合が前面にあると議論になりません。あくまでも役、作品の上での議論が必要だと考えています。)

2016-10-10a

▼そして、冒頭の”ゴルゴ13”の言葉です。
『どうやら我々は、同じ鳥を見て、違う鳴き声を聞いているようだな・・・』

▼こうしたたくさんの人間が作業する場合、同じ方向を向いていたとしても、細部は同じでない場合があります。そうした事を内包しながらも、ほぼ同じ方向に向いて進んで行くことがお芝居を創る上では肝要だと考えています。

▼他方、これが役の立場で考えた場合。台本上にある「出来事」に対しては登場人物は総て別の捉え方をします。これをまとめたり、同じ方向にさせる必要はないのは当然のことであります。さらに言えば、その「出来事」に関して役がどう思ったか、どう感じたかは考える事が必要ですが、”役者ならどうする”など「役者の都合」が入り込む余地はないとぼくは考えています。

▼”同じ鳥を見て、違う鳴き声を聞く”。役・登場人物もそのほとんどの場合は人間です。人間的な役もありますが・・・ほぼなんらかを感じ、どうにかしてコミュニケーションを図ろうとしている人々です。感じ方も千差万別です。同じ出来事を役・登場人物全てが同じ気持ち、同じ感じ方、同じ感情で捉えるはずがありません。

▼稽古場に居ると、(ぼくなんかは特にそうですが・・・)ついつい、役以外の思考が入り込んでしまったり、他の役から見た感想が入ってしまったりしまいがちです。同じ出来事を舞台上で経験していても、その役の生い立ち、教育、状況、環境によって捉え方も感じ方も全く違ってくるはずです。

▼そうしたことを念頭に役作りを進めていくことが肝要だとぼくは考えています。


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