【王女メディア出演者紹介】イアソン役 西村公佑

イオルコスの王子

イアソンはギリシャにある、イオルコスの王アイソンの子でした。
しかし、イアソンが幼くして、アイソンが死んだため、叔父(アイソンの弟)に当たるペリアスが王位を継ぎました。
イアソンはケンタウロス(ギリシャ神話に出てくる半人半馬の怪物)の賢者ケイロンに預けられます。女神ヘラ(結婚と母性、貞節を司るギリシャ神話の女神)の加護がこのころからイアソンにはあったといいます。
やがて成人したイアソンはイオルコスに戻って、叔父ペリアスに王位の返還を求めますが、王位を返還したくないペリアスは一つの条件を出したと言います。
これが後にメディアと出会う契機となる、「コルキスにある黄金羊毛の奪取」なのです。ちなみにこのイアソンの王位返還要求以前にペリアスはとある神託を受けていました。それは「サンダルを片足だけ履いたものに王位が奪われるであろう」というものでした。
まさにこの時のイアソンはサンダルを片方しか履いていませんでした。
どうしても王位を返還したくないペリアスはとんでもない条件をつきつけたんですね。。。。いまで言うと・・・きっと都市伝説レベルのことを実現するように要求したのでしょうか・・・

 

今回、イアソンを演じるのは…


今回、このイアソンを演じるのは、西村公佑と稲木晃浩です。
この二人がアイゲウスとダブルキャストで演じます。

西村は、2017年に新和座に入団以来、自分の役に真摯に向かい合ってきました。
そして、今回、この「ネクストチャレンジシアター」にて、物語の根幹を担う役にチャレンジします。
西村はこのイアソンのような役を演じるのは初めてであると思います。
だからこそ、彼の純粋なイメージがイアソンをどう生かすか・・・ご期待いただきたい点の一つです。

西村も稽古を行う度に進化しています。
イアソンがイアソンとして、舞台上で生きている、そんな思いを感じさせてきます。
まだまだ芝居が荒いところはもちろんあります。
しかし、彼が真摯に向かっている「イアソン」、そして、メディアに相対する姿勢、関係性を劇場にて御覧ください♪

王女メディアは2月16日から!
公演詳細はこちらをクリックしてください


公と私と。

どんな人でも…

どんな人間でも”公”の部分と”私”の部分があると考えています。
会社だったり、バイト先だったり、家族であったり…
自分以外の人間と接するとき、いろいろな”公”を背負う場合があります。

よくぼくは「武藤さん」と呼ばれますが…細かく考えると、個人では呼ばれていないような気がします。
個人で呼ばれるとすれば、「武藤賀洋」さんがより個人っぽいですし、もっと正確に申せば、
「○○市××区△△町の武藤賀洋」が個人を指すと思っています。

ちょっとそれてしまいましたが、、、、
仕事でもそういう時があります。
「武藤さん」ではなく、「新和座さん」と呼ばれることがあります。

 

公と私と

こう考えると、誰でも個人としてと、公(組織)としての立場を持っている気がします。

この個人の思いや行動と”公”の意思・行動というのは必ずしも一致しない場合がまま、あります。

その時、僕は辛抱できるのか。
その時、僕は壊れずにいられるのか。
その時、僕は本当に僕を出さずにいられるのか。
はたまた、我を出してしまって、全てを破壊するのだろうか。

お芝居を作る時もそうです。
ぼくの我が出てしまいすぎやしないか。
しかし、ぼくの思いがでなければ、それはぼくの作品ではないとも思います。
こうした二律背反を抱えながら…稽古は進んでいくものだと思っています。

どちらがどう、というわけではなく。
公と私と。

ぼくはこう見えて、なるべく「私」の部分を消そうと頑張っています。
しかし、完全に消すことはできません。

クレオン王を演じていもそうです。
どこか、「私」の部分が出てしまいます。
しかし、クレオンと作品としての王女メディア、新和座という色々な要素が加わった時、ぼくの「私」の部分だけでは作れないのも事実なわけです。

こうした矛盾するようなふたつを抱えて、ぼくは・・・ぼくらは作品を作り続けていくのだと考えています。

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細はこちらをクリックしてください


【王女メディア出演者紹介】メディア役 いとうともえ

太陽の神の孫

今回は「王女メディア」の主人公、メディアについてです。
メディアはメーデイアとも言い、ギリシア神話に登場するコルキスの王アイエテスとアステロディアーの娘で、太陽の神ヘリオスの孫です。女神ヘカテの魔術でイアソンのアルゴナウタイの冒険を成功に導きました。

 

メディアの思い

メディアは神話でもこの「王女メディア」の物語でも、いわゆる酷いことをたくさんします。弟を殺したり、イアソンの叔父ペリアスの娘に父親を殺させたりします。
しかし、これは全てはイアソンの為。イアソンの為にこうした悪事にも手を染めたのです。

もちろん、個人的にはこうした方法が良いとは思えませんし、現代では通じる方法ではないと思います。
しかしながら…こうした思い、”思いを寄せるものの為なら、手段は選ばない”ということは非常に理解できます。

こうした総てを注いだイアソンがメディアとの結婚の誓いを破棄してクレオン王の娘グラウケーと結婚しようとしてしまいます。
これにメディアは…

 

メディアに挑戦するのはいとうともえです。

このメディアに挑戦するのは、座長いとうともえです。

普段のいとうは、本人が発する声、雰囲気から「癒やし」の人と言われています。ふんわりボイスに物腰の柔らかさ、そして、徳の高さ。座員が慕っております。
そんな彼女が…正反対の・・・この狂った女、「メディア」を演じます。

おそらく色々と苦労していることがあると思います。
しかしながら、稽古を進めていく度に「王女メディア」が産まれてきています。

今までに、誰もやったことのないメディア。これが今、産まれつつあります。
新しいメディア。是非、劇場にて御覧ください!!!

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細はこちらをクリックしてください


【王女メディア出演者紹介】クレオン王役 武藤賀洋

王女メディアの発端は…

アルゴー船での冒険を終えたイアソンは妻メディアの協力もあって、イオルコスの王になったわけですが、その王位継承の際、メディアは先王であったイアソンの叔父ペリアスを彼の娘を欺いて殺してしまいます。
その殺人の罪でイオルコスを追われたイアソンとメディア。彼らはコリントスに流れ着きます。
コリントスの王クレオンは罪人とはいえど、イアソンの人柄をずいぶんと気に入り、自分の娘クラウケーとの結婚話を持ちかけます。こうして、エウリピデスの「王女メディア」が始まるわけです。

 

オイディプス王にもクレオン王

ギリシャ悲劇がお好きな方ならご存知のお話かもしれませんが、古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソポクレスが、書いたギリシャ悲劇の最高傑作として名高い「オイディプス王」にもクレオンという名前の王が出てきます。
色々な文献を参考にしますと、この二人別人だということなのです。
オイディプス王に出てくるのは、テーバイの王で、メディアに出てくるのはコリントスの王クレオンです。’クレオン’にはもともと『支配者』という意味がこめられているそうです。

 

支配者クレオン

メディアの本編では、クレオンは自分の娘をイアソンに娶らせた直後より始まります。これはいつの世も同じかもしれませんが、政略結婚でない限り、自分の子供を嫁に嫁がせるわけですから、かなりイアソンの事を気に入っていたのでしょう。

今回、このクレオン王を演じるのは文芸部の武藤です。
いつもは偉そうに演出していますが…今回は演出から離れ、このクレオン王に向かい合っています。

余談ですが…実際の武藤も、稲木・西村を大変気に入っており、「こういう大人にならないでね」と言って稽古をしております。

武藤はこのクレオン王がとっても好きだと言っております。この好きな役を武藤がどう演じますか、是非劇場にてご覧いただければと存じます!ご期待ください!!

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細は↓をクリックしてください


新和座の舞台には愛がある。

これは何回か色々なことろで書いていると思います。
ぼく、武藤の演出家としての思想と言ったほうがいいかもしれません。
お芝居というものは『人間の愛』だと思っています。

愛と言っても色々な愛の形があります。
親子愛・ 夫婦愛・恋愛・友情・兄弟愛・師弟愛・動物への愛・物への愛
などなど・・・

色々な愛の形がありますが・・・
お芝居というのはこういった愛が根本にある気がしてなりません。
ぼくはお芝居において究極に表現したいことはこの「人間の愛」なのです。

どんな物語にもどんな舞台にも人間の血の通った愛がなければ、人の心は動かないと思っています。
例え、悲劇であろうとも、その裏には人間の愛が絡んでいると思います。
例え、喜劇でも、その裏には人間の愛情がなければ笑いを届けることはできないと考えています。

舞台を作るスタッフ、キャストの全てが見せかけだけの愛しか知らないのであれば、それはやはり、うすっぺらいものになってしまう気がします。

愛には色々な形があるからこそ、人の裏切りや信頼、つながりといった部分を表すことによって、物語がより深くなり、また、どんな物語でも、その登場人物の関係性を突き詰めていき、解釈するとなんらかの愛の形が垣間見えると思うのです。

仏作って魂入れずという言葉がありますが、これは、肝心なことが抜けると何もならないという意味で、一番大切なことを忘れたり、疎かにすることのたとえです。仏像を作っても、魂を入れなければただの木や石にすぎないといことからの喩えなのですが…
これと同様に、物語から芝居を創っても、肝心の魂、人の心、想い―――愛が入っていなければ何にもならない、見ていただいているお客様に何も届けることが出来ないのではないか、そう思っています。

さて、色々な物語には色々な登場人物が出、それぞれに関係性があり、その根本は愛情につながっていると思うのです。そこには所謂、愛もあれば、愛ゆえの憎しみ、苦しみ、葛藤など…様々なものがあると感がております。この登場人物たちを舞台上で生かすべく、人間の愛について研究していきます。

今回のメディアについては…
ぼくは演出担当ではありません。しかし、私ども新和座の舞台には「愛」があると思います。
それは座長以下座員全員が、誰かの愛を感じ、それを原動力して創っていると感じているからです。

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細は↓をクリックしてください


【王女メディア出演者紹介】報告者役 梨沢千晴

ギリシャ悲劇での殺人場面

ギリシア悲劇の色々な台本や文献を読んでおりますと、ギリシア悲劇では舞台上で殺人場面が出てくる事はないようです。現代の上演形態ではこの限りではないようですが、原作というか、そのままの物語ですと、その死に様は目撃者の証言によってのみ描写され、表現されるようです。
今回、私どもの王女メディアもこの「報告者」の証言が物語を一歩進めます。その内容は殺人現場のことなのか、はたまた、別の「重要事項」なのかは劇場でご覧いただきたいのです!

 

この報告者を…

この報告者を演じますのは、梨沢千晴です。梨沢は今まで、「ロミオとジュリエット」ではジュリエット、「デスマーチシリーズ」では垣田このはなどなど、新和座の舞台では中心となる役を演じてきました。
今回の「報告者」はいわゆるメインキャストではないかもしれません。しれませんが…この報告者が口にする「事実」こそが王女メディアを突き動かす役です。この役に挑む梨沢は持ち前のアイデアをどんどん盛り込み、創っております!
今回いとうと共に演出を努める梨沢。こちらもチャレンジです。演出・演技指導を通じて、自身の芝居にもどんどん変化があるように見受けられます!
梨沢が発しますパワー、ぜひ、劇場にて御覧ください!!

 

王女メディアは2月16日から!
公演詳細はこちらをクリックしてください


芸術に答えはない。

過去に何回か書いておりますが…私たちは、
『芸術に答えはない。』
と考えております。

正解なんて

どんな物語でもどんなお芝居でも、「正解」なんてないと思いますし、「正解」を求めてつくったりしたら、楽しくないと思っております。
その物語や役について、役者が10人いれば10人分の、スタッフが10人いれば10人分の、お客様が100人いれば100人分の答え、正解があり、どれが一番正しいかということはないと感じております。と同時に正解を求めることが非常に困難だと考えております。

では、なぜ正解を求めることが困難、答えがないと考えるのでしょうか。
正解を求め悩むから「つくる」という行為が終わった後、充実感があるとも思えます。

しかしながら、我々が手がける世界は人が相手の職業だと考えています。―――。万人を満足させることのできるお芝居に私は未だ出会ったことがありません。
演技、演劇にも数学などに用いられる公式のようなものがあれば答えを導きだすのは簡単なように思えます。もし、芸術の世界に公式が存在していたら・・・芸術家、表現者、みな同じものを導き出して気持ち悪いと思います。

 

ただ、やはり、セオリーは…

ただ、やはり『セオリー』的なものは存在すると考えています。
大先輩のお言葉を借りるのであれば、「オーソドックスな表現」ということでしょうか。
そのセオリー、オーソドックスな表現を学んで自分自身で作り直していくというのが最初なのではないかと感じています。

創作をしていて悩むのはとても良いことだと思います。
それは何が正しくて、何が間違っているなんて誰にも判断できないと思います。
(色々な作品を観てそれを思うことは感性を磨く上で非常に大事だと思います。)
お稽古場でダメ出しがあったとしても、単にそれは監督さん(もしくは演出)の創作過程の一つであって、且つブラッシュアップの一つであり、決して正解を導き出すものではないように思います。
なぜならば、もし演技に「正解」があるとするならば、その時に示した演技と同じモノ、寸分狂わず同じものは2度とできないからであります。

 

不正解も答えの一部

細かいことを言うと「不正解」も答えの一部です。つまりは演技というものに、正解も不正解もなく、ましてや完成することなんて、完璧になることなんてないのではないでしょうか。

だからといって、作品を完成させないわけにはいきません。妥協するわけにもいきません。
お稽古、練習を通じて、何度も何度も塗りなおしていって、はじめてそこで”日の目が見れる”という判断を通過して世の中に出て行くものだと感じます。

世の中に完璧な芸術などない、だから悩み続けるのではないでしょうか。そして、毎回新たな発見をしていくのが創作だという気がしてならないのです。

新和座でやっていることも研究成果や方法も単に1例でしかありませんし、けっして答えでも正解でもありません。研究を続けることで別の方法や技法が発見できるかもしれません。

私たちは「芸術に答えはない」という思いを更につづけ、日夜研究して参ります。
今回の「王女メディア」でもそのとおりであります。試行錯誤をつづけ、座長いとう以下一丸となって工夫を続け、正解のない世界に挑んでおります!

そして、2月16日、一つの答えにたどり着いた私たちを是非、ご覧いただきのです!
王女メディアは2月16日から!
公演詳細はこちらをクリックしてください