矛盾

トマトがぐんぐん成長しております。
バジルやパセリも収穫を始めました。
毎日サラダを作る直前に収穫して、すぐに食べると信じられないくらい香りがよくて、一度これを食べてしまえばもう外では買えないかもしれません。

 

自分で栽培して収穫までするようになると、これまでと違った喜びと切なさを味わいますね。
日々成長していく姿を眺めていたのに、最後には自らの手で摘み取って食べるわけですから。食べるために育て始めたのですが、成長の喜びと、それを摘み取る切なさと、そういう矛盾みたいなものを感じます。
生きものだし、ではその命を奪って繋いでいくものは? そういうこととは? みたいなことをぼんやりと、でも頭から離れることなく考えているうちに一週間が過ぎてしまいました。
枯らすのも忍びない気がするけれど、そもそも枯らすという考え方がわたし都合で、植物はそんなことを考えているわけじゃないだろうし。
だとしたらどちらにしても枯れてしまうから食べるという考えも傲慢な気がして。
愛しさと切なさと、といった感じでしょうか。
とにかく感謝することしかできません。そして命を奪っているという意識。
また生えてくるし、痛みを感じるわけじゃないだろうし、とはなかなかいきつけないのでした。
重たいものは重ねていくしかないようです。

 

数年ぶりに紫陽花を見にいきました。
かれこれ約十年程前から紫陽花を見にいくようになりましたが、年々人が増えているような……。
いや、数年に一度くらいしか見にいけていないので正確にはわかりませんが、少なくても今年は確実に多いと感じました。
確か数年前に行った時には休日は大変だろうな、くらいでしたが今年は既に平日でも整理券が。
紫陽花ブームか何かおきているのでしょうか。
毎度のことですが、紫陽花を見に行っているのだか、人を見に行っているのだかわからなくなる、というレベルでした。
どうしても仕方のないことだと思いますが……。

 

そして人込みが苦手なわたしは移動途中に見た人のいない場所にある紫陽花の方にほっとするという。
どんなに素晴らしい景色でもやはり人が多すぎるとどうしても純粋にその状況を楽しむのは難しいものです。わたしが不器用すぎるせいもあるのでしょう。
桜のお花見もそうですが、自然と向き合ったり楽しんだりするのも、街中ではなかなか難しいものなのですね。
遊びに行っているはずなのに、どこか臨戦態勢。
鎌倉の紫陽花のように管理された状況の自然だとしても、やはり自然というものと向き合う以上どこか自分をそういうところまで落とさないと、繊細なものと同じ目線にはなれないような気がします。
目と心を澄ますというのは簡単なことではありませんね。
どこか余裕がないと絶対に自分本位に考えてしまうと思うし、そういうものが僅かでも入り込むともう難しい気がします。
本来はそれくらい繊細なことなのだろうと思うのです。

 

が、まあ難しいということで。
雰囲気ですね。それと、ある意味これすら時代の流れ。
十年前にはなかった(はず)ツイッターやインスタグラム。なかなか、本当に、いろいろなことについていくのは難しい。
あえて切り離しても迫りくる時代。切り離しても息苦しさを感じる時があるのはどこかでどうしたって必要性を感じることがあるからなんだろうな、と思いつつ。
未来を想像したりしたのでした。

 

新和座の本公演「ロミオとジュリエット」昨日から始まっております。
わたしは出演しておりませんがナレーションを担当させていただきましたので、観劇の際はナレーションにも耳を傾けていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
尚、本日13時からの公演のチケットは完売しております。その他の回の情報はツイッター、公式ホームページをご覧ください。お問い合わせは制作までお願いします。
では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


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