悲劇悲劇というけれども…
実はギリシャ悲劇には、「殺人場面」は登場しません。
人が舞台上で死ぬことはないのです。
物語上の「出来事」として、人は死にます。
しかし、その「死の現場」は舞台上にはないのです。
シェイクスピアの作品などでは「決闘」だったり「毒を飲む」シーンなどもあったりしますが…
ギリシャ悲劇の物語の中にその描写はありません。
もちろん、現代の上演形態で「人が死ぬシーン」がある場合もあると思います。
演出方法などで”死のシーン”が出てくる場合もあると思います。
では、ギリシャ悲劇ではどのような方法で「人の死」を表現しているのでしょうか…
証言による証明
ギリシャ悲劇では役の死、その死に様は目撃者の証言によってのみ描写され、表現されています。
つまり、
「○○さんが、△△によって、死にました!」
と証言する役があり、その役の証言によって、”役が死んだ”と証明されるわけです。
つまり目の前では”死のシーン”がない代わりに、
伝聞としての”死”が表現されるわけです。
何故ギリシャ悲劇がこういう形式をとっているか、それにはまだ調査が必要ですが、
推測するに、書かれた当時の宗教観や文化を考えた時、「人の死」というものはある種特別なもので、舞台の上で表現すべきものではないとされていたのではないでしょうか。
つまり、人の生死は神こそが操れるものであり、人間がそのシーンそのものを描写することは禁忌であったのではないか、と推測しています。
とは言え、物語の中に「人の死」はあるわけで、その事実を成り立たせるための「証言による証明」という方法をとっていると考えています。
王女メディアでも
今回のネクスト・チャレンジ・シリーズ『王女メディア』でもこの証言を行ってくれる役「報告者」という役があります。
この重要な役回りでもあり、いとうと梨沢が、どのように表現するのか…悩みどころでもある役、シーンです。
この役が別の役の死の証言をした時、物語は一気に進みます。
この技術が進歩した現代において、この「報告者」の「証言」をどのように創り込むか、我々の課題の一つだと考えています。