▼旧ブログでは「舞台演出家武藤賀洋のお芝居について」という記事を何本か書いてきましたが、こちらの新ブログでもぼく、舞台演出家武藤が考える「お芝居」についてを不定期に書いて参ります☆
▼今日の記事は、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』ということを考えてみたいと思います。
▼ぼくはこう考えています。
『お芝居をするには自分が持てるものすべてを出し、すべてをそそいでやらないとお客様の心は動かない』
また、プロとしてお仕事して行く上で、ライバルが’このこと’をしていたら、まずもって役は持って行かれてしまうでしょう。
▼ある程度経験を積むと「これくらいでいいかな」と思わないまでも、しらずしらずの内に自分の全てを出さないことが出てきてしまいます。また、初心者の方に多いのが、恥ずかしさ、羞恥心が先にたってしまって、なかなか思い切り出来ないと言うものがあります。
▼羞恥心を出さないようにしたり、(捨てるというのは違うと考えていて、また別の機会にお話しようと思っています。)自分の持てるすべてを出し切るというのには”テンションを張る”と言う事が関係していると思います。
▼人は泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったり−−−つまりは感情の変化がある際は−−−無意識にテンションが張れている状態であるわけです。もっと平たく言えば、ある種の興奮状態であり、(良い意味での)緊張状態なわけです。このある種の興奮、緊張を常に張っている事によって、制限なく、お芝居ができるのではないかと考えています。
▼また、最初にも書きました通り、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』わけですから、自分の良い面ばかりでなく悪い面、長所ばかりでなく短所もすべてさらけ出さなくてはいけません。しかし、人間ですから、欠点や短所をさらけ出す事は嫌なものです。
▼それに伴って笑われたり、馬鹿にされる事があるかもしれません。しかし、役者としてはすべてをそそがないと、人の心は動かせない訳です。なぜならば、通常皆さんが心を動かされたりすることはその原因となった人、物事について、たとえその人の欠点だったことであろうと、その人が真剣であればあるほど心に残る訳です。お笑いでもしかり。お芝居でもしかり。その見せ方や目的が違うだけなのです。
▼ライバル達が思い切り、自分の良いところも悪いところも包み隠さず、自分のすべてを注いでお芝居をしたら…例えばオーディションなどでは勝ち目がなくなってきてしまうかもしれません。また、すべてを注がずにお芝居をしていると、目の肥えたお客様やお仕事先のディレクターさんなどにすぐに看破されてしまいます。
▼また、『自分の生きている時間すべてを芝居に注ぐ』ということも大切です。役者修行をしている方の多くは学生さんだったり、アルバイトをしておられる方がほとんどだと思います。
▼生活のためにアルバイトをしたり、学生さんですから勉強するのは当たり前です。しかし、役者を目指した以上、他人が−−−役者を目指していないお友達などが−−−遊んでいたり、休日をとったりする時はすべてお芝居に費やすべきなのです。この世界は努力が必ずしも報われるべき世界ではありません。しかしながら、自分の人生の時間のそのほとんどをお芝居に関する時間に充てないと・・・これもライバルが既に充てていたら勝ち目はありません。
▼人間ですから眠かったり、やる気が起きなかったり、遊びたかったりします。しかし、切り替えをきちんとして、お芝居に時間を充てなければ『自分の全てを注ぐ』ということにはなりませぬ。
▼『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』−−−常に思い切り、制限なく、また、自分の使える時間を有効にお芝居に注ぐ。そうしていくことで好きなお芝居がより好きになり、恥ずかしいと感じてしまう心を出さなくなり、自信がついてくるようになる第一歩だと考えています。