11月ですね。急に寒くなりました。
夏が終わると一年がもう駆け足で終わる。という感じがします。
せっかちなので常に何かに追われている感はありますが、ここにきてますますの焦燥感ラストスパート。
無駄な焦燥は何も生み出しません。
ある程度心をフラットな状態にしておかないと、受け止められるはずのことを見逃してしまいます。
ですがこのバランスが取れたら苦労はしないということで。
ほとんどの物事は多面的であると思っています。
いい面でけではない。悪い面だけでもない。
わたしが子供の頃と比べると大分便利な時代になりました。意識するのは情報。それは加速度的に。
それに疲れてきた。というのがこの数年。
バランスをとるのが下手なわたしはそれに頼るととても疲弊していくことに気付いた。という最近。
情報が溢れている時代。その中からの取捨選択って簡単に上手くできるものでもなく。
多分下手で。だからとても疲れてしまった。
というのが定期的に訪れるのですが、そのせいかこの数週間パソコンを触らないまま過ごしました。
遠くに行ったら行ったで、スマホやパソコンがなくても平気で過ごせてしまうし、依存しているわけでは全くないと思うのですが、身近にあれば頼ってしまうもので。
その調節というのが非常に難しいものです。
感覚的なものを澄ませたい時はどうしても、情報などは一旦離した方がいいことが多いように思え。
情報と感覚と感情は、器用に同時に処理することはできないのだと実感します。
できる人もいるのかもしれないし、むしろわたし以外の人はできているのかもしれないけれど、わたしができないから仕方ない。
と、素直に受け入れました。
身軽。
晴れた日が二日程続いた日の空がそれはそれは美しくて。
月の光も心に染みました。
そうやって感覚だけを追った数日。
美しいと感じる中には独特の微かな痛みも感じるくらいで、やっぱり多面的だと思う。
心の微細な変化を感じ取るのも、感覚を澄ませてこそだと思えます。
鈍感にならざを得ない、というのが特別なことでもない気がするし、仕方がないことのような気もします。
今を生きるということを、客観的に見ようとするとどうしてもそう思えることも多く。
少し寂しくなる。
生きるということに答えを出せていないので正しさはないですが、多分人間だからこその感覚はせっかくだから大切にしたい、と思います。
あれやこれや、予定なことを考えずに済むととりあえず大切なことがスコーンと頭に入ってくるので助かります。
情報は蜜の味なんですけれど。それに悪いものでもないのですけれど。ここが難しいところです。
でも扱う術を知らないのはやはり少し怖い気もする。
知りすぎてしまうこと。
想像力は足りないところから生まれる気がするので。
充たされることを望みながらも枯渇感がなくなったらいけないのかもしれない。
と、考えることはやっぱり矛盾していますが。
もそもそ考えたので、そろそろ感覚を鍛えにいきます。
では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。