幸せのはなし。

今日から十月ですね。
九月の間にクリスマスケーキのカタログが届いて、いよいよ年末が迫ってきたなぁと。
夏が終わると年末までは速いですね。
先週は夏のような蒸し暑さが戻ったりもしましたが、昨日は突然涼しくて長袖を出しました。
長袖を着られるとほっとします。
大好きな銀杏ももうすぐ黄色くなりますね。

 

秋は秋の楽しみがいっぱいです。
とりわけ、秋に流れる空気感が好きです。寒くはないけれど少し冷たくて、少し寂しそうで、夏の快活さはなくどこかゆっくりで。
のんびり歩くことを許されたような感じ。
実際に暑くないので外にいられる時間が増えて、いろいろなことを考えられます。
夏とは違う空と雲の感じも、秋の草や土の香りが混じった風の匂いも好きです。
それに毎年千疋屋の栗のパフェは楽しみで。
一番好きなのがマンゴーのパフェと栗のパフェなのですが、今年の夏は慌ただしくしているうちに一度もマンゴーパフェを食べられないまま終わってしまったので、栗パフェこそは行きたいと思っています。マンゴーなんて毎年夏の間に二、三回は行くのになぁ。今年の夏はそのせいか何か物足りなかったです。
そうはならないようにって、先日早速栗パフェを食べに行ったらまだ栗は始まっておらず、結局無花果パフェを食べて帰ってきましたが、無花果もおいしいですね。
結局何を食べてもおいしいのですが、果物も季節を感じられていいものです。

 

近いうちにクリスマスケーキの予約にも行かなければ……。ここ数年は毎年同じお店のケーキプラス新しく挑戦なのですが、好きなお店が増えてきたので迷います。定番いちごショートケーキは星の数ほど存在しますが、理想の生地とスポンジとクリームといちごのバランスが合うものにはなかなか出会えず。
当たり前ですか。結局お気に入りはいつも同じ。
クリスマスケーキのカタログを見ていると、どれもおいしそうで綺麗で迷ってしまいますが、皆さま一体どうやって選んでいるのでしょうか。
どうやらわたしは、そういう選択があまり得意でないようで(と最近気づき←遅い)決まりごとが多いのです。
日々食べるものは同じだし、手帳は毎年シンプルな同じメーカーの全く同じものを使っているし、ペンもずっと同じメーカーの同じもの、クリスマスケーキももちろんひとつは毎年同じケーキです。
生きていると選択の連続なのですが、こういう細々とした、でも実際どうでもいい(ってのも酷いですが)選択は選択したくないんですね。
どうしようもない選択すべき時のために体力(?)は温存。どうでもいいのは同じにして、消耗を防いで(?)おります。
クリスマスケーキなんてもう毎年趣向を凝らしすぎていて、目移り半端なしです。半分芸術。何時間でもカタログを見ていられるので困ってしまいます。
それくらい凄いですよ。

 

 

これ以上増やさないと決めていましたが、一気に花を増やしてしまったおかげで華やかになりました。
難しいから好きだけど育てないと決めていた薔薇もついに。ミニ薔薇ですが、やっぱりかわいいですね。それに千日草や名前のわからない花(育てるのに困る)
小さな草花と過ごす時間が癒しの一部になっております。
子供の頃は、草花を大量に育てている祖父母を見ながら、なんでそんなに育ててるんだろうと思ってましたが、今なら気持ちがわかる気がします。
家の中や庭を華やかにしていた手入れの行き届いた草花たちが、祖父母が亡くなった後に面影を無くしていったのは寂しかった思い出。
今でも同じ場所を見ると、鮮やかだったあの頃を思い出してしまいますが……。
まあそんなわけであの頃には思いもしませんでしたが、気付けばわたしも草花にすっかりはまってしまっておりました。
生命の輝きと無言の優しさがいいのですね。感じるとか考えるとか、いいです。草花にはそういうものがある気がします。
休みの日なんかは花を眺めながら読書をしております。寒くなったら無理だから今だけ限定。

 

散歩コースにぐんと生えてきたススキが風にさらさら流れる様子。
秋の草も茂り。

 

いつもは自分で淹れるコーヒーを、お店に行ったら当たり前ですが店員さんが淹れてくださる。

 

少し時間がかかってしまいますが大丈夫ですか?

 

と。そして出してくださったコーヒーはとてもおいしかった。
豆の種類も違うけれど、そうじゃなく、人が淹れてくれた味。
いつも帰り際にパンを買って帰る。たまにおまけしてくださって。ああ、また来ようと思いながら幸せな気持ちでまた好きな道を通って帰る。
パンを買ったから明日の朝はどんなご飯を作ろうかと考えて。

 

これも幸せ。膨大ないろいろなものが溢れているけれど、煩雑としたいろんなものをぽいぽいしてくと、残るものってあんましないんですね。
向上は忘れてはいけなくても、欲深すぎてはいけないなと思いました。
あれもこれもそれも素敵な世の中で、豊で幸せなのですが、だからどれも欲しくて苦しくなってしまうので、
その場限りではない普遍的な幸せを見失わないようにしたいと思うのでありました。
もちろん言葉通りきっとそううまくはいかないのですけれど、それでも一時期より大分いろいろなものがすっきりした気がします。
ああこれも、歳を重ねるってことかあとしみじみ。

 

ものってあると疲れるな、なんて子供の頃は思わなかったのですが。
膨大に増え続ける情報でもういっぱいいっぱいなので、不思議。形はないのに(本という形にすれば物質的にも増えますが)なぜでしょうね。

 

でも、ススキが綺麗だとか、秋の風が気持ちいいとか、
多分わたしの一番の幸せはそんなものなのかもしれません。

 

もちろんそう思えるのも、基盤があるからで、それはまわりの人たちのおかげなんですね。
ありがたいなあ幸せだなあと思いながら、歩いてます。
もう、感謝することしかなくなってきます。生きる時間が増えてくって、そういうところが素敵だなと思います。

 

そんな幸せのはなし。

 

では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。


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