久々のギリシア悲劇〜自己完結を目指して。

▼時の流れというのは本当に早いものです。七月を振り返りますと…公演後のおやすみを経て次期公演『デスマーチ』の準備をはじめています。先週の記事にも書きましたが…ぼくのわがままで奏先生に追加執筆をお願いしております!

▼そんな中で今回は思うところがあって・・・稽古をしました。ぼくらの間では『訓練』と呼んでいる内容です。

2016-07-31f▼前回公演『ロミオとジュリエット』で”足りなかった”所、お客様のご感想を頂いた箇所を重点的に考えて「訓練」の内容を決めていきます。

▼内容を詳しくは書けませんが、お芝居において”基礎”と言われる内容はもちろん、身体の使い方、仕草、表情、視線などなど…俳優一人ひとりが”足りない部分”だったり、”さらに研く箇所”を考えながら行いました。

●自己完結できる事を目指して

▼当然のことながら…お芝居は一人ではできません。ですので、個人個人が好きなように好き勝手やっては作品は出来ません。一つの作品をやる上において、一つの台本を読めば、台本を読んだ人の分だけ物語が出来、解釈が生まれます。俳優の分だけ、スタッフの分だけ。読んだ人が好き勝手に行動したら…作品としてまとまりがなくなってしまいます。

▼ではどうしたらいいのか・・・ぼくは(極端ではありますが)こう考えています。

▼演出家の言う事だけを聞いていけばいいのか・・・もちろん、演出家は作品すべてに対して責任を持ちますが、俳優さんは演出家の言う事だけを聞くロボットではありません。

▼ではいわゆる「主役」の人に合わせればいいのか・・・これはナンセンスです。物語の登場人物は「主役だ!」「脇役だ!」などと意識して、存在していません。ですので、「主役」にあわせても意味がありません。

▼だったら、一番うまい人に合わせればいいのか・・・ここまで来ると意味不明です。もちろん、先輩や上手な俳優さんの「うまさ」には理由や裏付けがあります。ですので、技術的な事や考え方については学ぶ事がたくさんあります。ありますが…作品作りをするときに、先輩やうまい人にあわせていくのは良いのですが…果たしてそれは、俳優の仕事と言えるでしょうか。ぼくは俳優の仕事を放棄しているように思います。

2016-07-31e▼誤解を生むような書き方ですが・・・先輩や上手な俳優さんの言う事を聞くな!という事では一切ありません。自分で考えることを放棄してはいけないと考えているのです。

▼ぼくは俳優それぞれが『自己完結』できる事が理想だと思っています。配役されたら・・・稽古の最初から公演の幕が降りるまで、自分で考え、自分の仕事をし、相手の仕事をも完了させることができる、成果を上げることができる、というのが理想です。共演者と共に、常に反応し合いながら稽古が進み・・・スタッフの技術も共に反応し合い・・・本番の公演でも、それぞれがそれぞれの俳優・役・スタッフと反応し合う事が理想です。

▼具体的には・・・公演では作品外の”声”は届きません。例えば出来がわるくても演出家は止めませんし、段取りを間違ったとしてもやり直しは出来ません。そんなことをしてしまっては作品世界が壊れてしまいます。こうした事を防ぐには稽古を重ね、繰り返して練習をしていくことが第一義です。しかし、いくら練習を繰り返しても稽古を重ねても、何が起こるかわからないのが、舞台です。そこで助けてくれるのは自分以外の共演者であり、スタッフです。しかし、そこには「相談」なんて出来ません。

▼相手が何をしてほしいのか、自分が動くことによって相手が助かることはなんなのか。相手の芝居を生かす事で自分の役も生きるということは必ずあるはずです。こうしたことを無言で動くことができれば、稽古中でも余計な時間を使わなくてすみます。

▼とは言え、他人の考えを完璧にわかる、などということは出来ません。しかし・・・状況を限定すれば、ある程度はできるとぼくは思っていますし、現に新和座の作品ではできているところもあります。

▼大事なのは一人では作品ができませんし、人は完璧でない、ということです。ですので、他者の力を借り、自分の力を貸し、それを融合すること、何も言わなくても、できていくことが理想であり、目指すところです。

▼こうした事を実現させるための課題もやりました。新和座は連携がとれている方だと思っています。しかし・・・それでも、他人の考えを思うどころか・・・自分の事が相手に伝わっていない事が多くあります。そこを認識するだけでもお芝居は変わってきます。

 

●久々のギリシア悲劇

▼こうした事を踏まえ、新和座ではおなじみの課題ですが・・・ギリシア悲劇の本をやりました。ごくごく短いシーンですが、すぐに台詞を入れて、動き、視線をくばり、範囲とされた(舞台の物理的設定)空間を認識し、相手役の動き、しゃべりを感じる。

▼俳優として相手がどうしてほしいのか、役として、相手とどう向かい合うのか。

▼俳優個人個人として得手不得手があります。視線、反応、聞く力、動き、仕草などなど・・・お芝居を構成する要素は色々とあります。そうした要素を一つ一つ意識して、役に取り組む事で新たな発見があります。

▼それは自分が出来ている部分と出来ていない部分、そしてやったけどできなかった部分がはっきり見えてくるのです。はっきり見えれば、そこを潰すのか伸ばすのかをはっきりさせればまた濃い内容の稽古になっていきます。

▼お芝居は答えはありません。ありませんが・・・漠然としたものではありません。お客様に見て頂いてはじめて成立するものです。そしてお客様がご覧になる体勢、考え方の基本、ご感想はもちろん自由です。ぼくらが規定したり強制したりすることはできません。しかし、お客様に想像してもらうための「説得力」が必要です。

▼この説得力を出すためにも、俳優・スタッフの個人の技量を研く事、組織として作品に取り組めるかということが大切だと考えています。

▼ぼくらはこの「ギリシア悲劇」を旗あげ公演でもやりました。いわば根本の作品です。迷ったり、何かを確認したりする時は根本に戻ることにしています。久々のギリシア悲劇を使っての訓練。非常に得るものが多かったです。

▼実はぼくも、俳優さんの中に入り、演じました。俳優さん達が何を考えているか知るために。

▼こうした訓練で得たもの、「ロミオとジュリエット」で得たものを次期公演『デスマーチ』で発揮して参ります!是非ご期待ください☆

2016-07-31g
訓練後に「貞子ごっこ」。

今日からの1週間また、楽しい出来事盛りだくさんの1週間でありますように♪♪♪


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