演技や表現といったモノにはデジタル的な評価が付けにくいと思います。
何故ならば答えがありませんし、評価や感想は人によってまちまちでその全てを満足させることは不可能なんじゃないかなと考えています。
しかしながら、それらを発する人間が表現のもと(例えば脚本など)を曖昧に捉えていたら、表現されるものはもっと曖昧になってしまいます。
例えば…
「私は26歳です。」
これは日本語として、広く多くの人に通じると思います。
この文の違う言い方を考えた時に
「私の年齢は26歳です。」
ということもできるかと思います。
同時にもっと、この文を分解してみると
「私の年齢の値は26です。」
というようになんとも味気ない表現の文字列になってしまいます。
しかしながら、我々の脳は「私は26歳です。」と聞くと”この人間は生まれてから26年立つのだ”だとか”この人間の年齢の値は「26」である”という風に無意識に捉えていると思います。
つまりよりどころとなる脚本を熟読し、言葉一つ一つの意味を理解し、かつ、曖昧さを回避していくと、そこに隠れているサブテキストが現れてくると考えています。
省略されている言葉を補完し、鮮明にイメージすることも大切です。
と同時に解析するのに賢明になりすぎ、表現が味気ないものになってしまっては意味がないと思います。曖昧さを求めるためにあいまいさを解消する、こうした矛盾をはらむ作業も私達の仕事だと考えています。