無理を承知で変わらないと☆血液型が違った場合。

役作りを考えている時に…

ぼくは普段から「もっと簡単に役作りする方法はないか」ですとか
「もっとスピーディーに役作りする方法はないか」など・・・役作りについて考えています。

もちろん、「もっと深く役作りするためには何が必要か」など、今までやってきたことを基盤に考えることもあります。

そうした事を考えていた時に・・・ふと思ったことがありました。
「血液型が違う場合って、どうするんだろう」
と。

 

役のプロフィールと自分のプロフィール

役のプロフィールと自分のプロフィールって違うことがほとんどです。
似ているところもありますし、全然違うところもあります。親しいところもあれば正反対のところもあると思います。

こうした”役のプロフィール”を想像したり、利用したりして役作りを行っていく事が多いわけですが・・・
どうしても・・・実現不可能と言いますか、想像ができない、できにくいものってあると思います。

血液型が自分と違っていたら・・・

想像ができない、実現不可能なことはいろいろあると思いますが・・・
たとえば・・・役と自分の血液型が違った場合・・・どうしたらいいのでしょう。
周りの「役と同じ血液型の人」を参考にしましょうか。
それとも、血液型占いをいろいろ読み漁りましょうか・・・

血液型について台本に触れてあれば、その部分を読み解いて、役作りの基盤にすることは可能かもしれませんが・・・
血液型を本当に変えることはできません。

また、血液型で役の正確や生活が変わるわけではないのですが・・・
「ああ、Bっぽい」
とかいうセリフがあった時にどういう気持になるか・・・B型の人以外はしっくりこないと思います。

この他、自分の経験のないこと、自分が試したことないことなどは・・・想像力を働かせる以外に道はないのですが、
想像する、といっても・・・その源泉はどこかに求めることが近道だとぼくは考えています。

役になりきるか・・・自分を殺すか・・・

世の中にはいろいろなタイプの役者さんが居て、
役を演じることを「役になりきる」という方もいれば、「役に向かい合う」、「役になる」、「役に近づく」などなどいろいろな表し方をします。

ぼくは「役に向かい合う」と表現しますが・・・
役作りの方法分だけ、こうした表現があると思っています。

しかし、役作りの根幹にあるのは・・・’役を演じる’ということであって、そこに’役者の都合’が表れないことが望ましいと考えています。
つまり、ちょっとでも「これ、不得意なんだ」だとか「ホントはやりたくない」だとか「もっとぼくを見て!」など”役者さんの考え”が出ると、役としては・・・少し違ってきてしまうと感じるのです。

そもそも世の中に同じ人間はいません。
声も違ければ、考え方も違います。
その時点で個性であり、役を無視して、「役者自身」を出してしまうと・・・お芝居ではなくなってしまうのではないか、と考えています。

と同時に、誰がやっても同じ、ということではなく・・・「その人」がやったから「その役」として舞台上で生きている、という事が大切だとも考えています。


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