間ってなんだろう。

▼通常ですと、水曜日は座長の記事の日なのですが…今回はわたくし、武藤がお届けします!

と、申しますのも・・・来る14日(日)にワークショップを行いますし、現在2班体制をとるべく新入座員の募集を行っております。お問い合わせを頂いており、本当にありがとうございます!!!とっても嬉しいです。
しかしながら・・・新和座のお芝居に対する考え方がブログ上であまり記されていないような気がして、今日は座長に無理を言って交代していただきました!

 

▼さてさて、そこで今日の記事ですが、『間ってなんだろう』というテーマで書いていきたいと思います。

2017-05-03a

不肖武藤、新和座で演出を務めておりますが・・・実はこの『間』の正体というものの、正解は知りません。しかしながら、ぼくなりの解釈、新和座なりの解釈があります。
それは、

 

 

『間』というのは、時間的経過であると同時に、役(人間)にとっては、衝動が起き、または動機が生まれ、またはきっかけとなる何かを得た、時間、と解釈しています。つまり、『間』というのは芝居をする上で、次の行動(台詞をしゃべるのも、仕草として動かすのも、何か決めれた動作をするのも・・・)をするための準備のための期間であると思っています。

 

▼つまり、無音であったり、誰も動いていないように見える(聞こえる)時間であっても、役は何かをしている、次の行動を起こすための準備時間なわけです。この時間が長い場合もありますし、短い場合もあります。長いからと言ってけして『間』というわけではないと考えています。

 

▼ぼくは常々演出をしている時、「喋り始めたり、動き出したりしたら、お芝居を’創る’という瞬間は過ぎ去っている」と考えています。

 

▼もちろん、モノの言い方や仕種・動作などなどは頭や感性をつかって、役を表現しなければいけませんが…その根本となる「気持ち」だったり、「心の揺れ動き」だったりというのは、「喋りはじめた時」「動き始めた時」はもう、出来ていていないといけないと考えています。つまり、喋るのも含めて…お芝居をする、ということは、心の準備(背景や生理現象、その時の状況をイメージした上での準備)を終えていなければいけないと考えているのです。身体を動かすのは心、もしくは頭、もしくは気持ちの揺れ動きだ、と考えています。

 

▼もっと言えば、一言一言を喋るずっと以前、幕が開いた瞬間に既に’創る’行為自体を終えてないと…そこから始まる(もっと前からもちろん始まっていると思いますが)役の人生が…始まりません。

 

▼反面、舞台上ではある種「役者」としての冷静さも持ち合わせていなければいけません。不測の事態が起こった時。お客様の反応。その日の相手との掛け合いなどなど…調整することももちろんたくさんあります。

 

▼如何にその空間を自分自身で創りだすか・・・これは14日(日)のワークショップで皆さんにお話し、一緒に考えていきたいと思っています!

 

是非、14日のワークショップ、お運び、ご検討下さい☆☆

ワークショップのご案内はこちらの記事を御覧ください!!!

皆さんにお目にかかれますことを、皆さんと共に考える事ができますことを楽しみにしております☆☆


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