先週のブログを読むと、さて、こんなつもりじゃなかったのにな……ってことが書かれていたりしてびっくりします。
客観的に見るにはある程度の距離感が必要なようです(一週間くらい?)
小学生の頃作文が苦手すぎたのですが、ブログなんかも、ただあったことを連ねていくとただの絵日記の絵のないバージョン。あ、それ日記ですか。
話はやっぱり頭の中でおちまで考えてから書く必要があるのでしょうね。目的地に到達しないどころかそもそもこれはどこへ向かっているのかという疑問が湧いてくる。
おちどころがない時の困りよう。
涼しくなったおかげか、今週は穏やかな週でした。
わたしは強弱が激しいので、穏やかか荒れ荒れかはっきりしている。
いつものお店にコーヒーを買いに行くと、常連様らしいお客様に声をかけられました。
老舗の飲食店のおかみさんらしい。
流石接客業のプロフェッショナルという感じで、話がきびきび。
明瞭、快活。力強い視線と姿勢で数分間話を聞いていただけで、ああ今度お店に行ってみようと思わせるしゃべり凄いな! と。
流石人生の大先輩。違います。
自分の価値観や考え方を伝えるというのは、なかなか大変なことだと思います。
あればいいけどあわないと、嫌われる……ではないけれど、いい面が作用してくれればいいのですが。
でも、考え方もわからない中途半端に普通の人、よりも、一か八か。凄く好きな人か嫌いな人、くらいになった方がいいのかもしれませんね。
魅力と欠点は大体表裏一体な気もしますし。
「嫌われる勇気」みたいな本がヒットしているのもそういうことなのかと(そういう類の本は読んだことはありませんが)思ったり。
合うか合わないか、ぐらいはっきりした方がはまった時、ぐっとはまってくれるみたいな?
普通とか無個性という印象よりははっきりしているし、いいか悪いかくらいの方がいいのかも?
ですし、案外嫌いというのは好きに傾く可能性を孕んでいたり?(嫌いという時点で意識する?)
何の打算もなく話したりするのは難しいのかもしれませんが……。
なんとなくそういうものは伝わってしまう気がする。
構えずに懐に飛びこんでくるようなしゃべりをする人と出会うと驚きますが、大体嫌いにはならないんですよね。
わお、と思いますが、裏表がないというのはひとつの魅力ではあるし、何を考えているかわからないよりははっきりマイナス感情でもはっきりあるとわかる方が健康的。人間的。
結局綺麗さ程信用できないものはない気がするというか。
意識下でそんなものはないだろと突っ込んでる。
もちろん毒とかはっきりと言っても、恨みつらみとかそういうどろどろしたのではなく、さらっと、こう思う、というようなことをはっきり言えるという意味であって。
酷いものではないです。それはちょっと、そういう感情が存在するとわかっていても、人に抱きたくはないし、抱いているところに遭遇したらびっくりするだろうな。
でも役ではきっと存在するだろうから、わからないと困るよなと思ったり。
わかると自分が抱かないは違うし、なんというかそういう加減が難しいです。
抱いて、どこか奥底に取っておいて、でも捨てる。みたいな。感情ってそんな単純に扱えるものではないと思うのですが、でも、だからプロフェッショナルがいるんだろうな。
演じる役の人間の魅力なんてそういう味の濃い部分なのだと思いますし。
見たくない部分だったりを表現するからおもしろいんだろうな。現実だったら、怖すぎる。
でもフィクションのための一時リアルにはやはり「嫌われる勇気」的なものが必要なんでしょうね。
話が逸れに逸れまくりましたが、なかなかいいお話を聞かせていただきました。
生き方や考え方は本当に千差万別なので、こういう考え方もあるのだと知るだけで面白いし、共感すれば尚更。
人との出会いは時々何か大きなものをもたらしてくれます。ありがたいです。いい週でした。
では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。