人間の本質はなかなか変えられないものです。と常々思っていますが。
特にわたしはとても偏っていると自覚していて、自分が気になることには猪突猛進、興味のないことには目も向けないという性質が子供の頃から直せず、たまに「えっ? そんなことも知らないの?」って言われちゃうようなことにぶつかるたびにいけないいけないと反省するのですが、やはりすべてのことに気がまわるわけではなく。
今週の座ブログでも書かれていましたが、自分の好きなことや興味のあることだけをやったり見たり読んだり経験していては偏ってしまうと。
そうだよなあそれじゃあいけない、と思ってからはなるべく自分の興味のない分野でも一度は経験してみることにしております。いつか芝居に使えるかもしれないし、という理由ももちろんあります。それ以外もありますが。
そうやって意識してきたつもりでも、抜けや例外もあります。
たとえば機械です。
わたしは機械類全般が大の苦手でして、携帯電話もスマートフォンを利用していながら、ほとんどアプリは使用せず、ツイッターやブログくらいで、ほとんど電話とメールしか使っておりません。もちろんフェイスブックやライン、ゲームその他諸々大体の人の口から出るであろうほとんどのものをわたしは一切利用しておりません。
興味も持てず、使わなくても不便はなく、むしろ使ったらその時間をどこから捻出すればいいのだと考えると調べたり勉強する気にもなれず、偏った性質を全開に出してきましたが、そんなわたしに訪れた試練……
スマートフォンの故障。
データの移行とかもう目を白黒させながら、わからない用語(でもきっと普通の人でも知ってる)を聞きながらなんとか修理に出し、帰ってくる時もそれはそれで面倒で、一週間分くらいの気力をそれにつぎ込んでしまいました。
特に依存しているわけではないので預けていた一週間程も瞬く間に過ぎてしまったのですが、まわりの人と話していると自分の知らなさ加減を実感し、また反省したりもしましたが、どう頑張ってもできる気がしないというものもあるわけで、それが機械類なわけで、人には得手不得手がどうしてもあるのだと思いますが、でもそれを言い訳にしてはいけないと思いますが、それでもできないのが機械類なわけで、帰ってきても自分のものなのにどこか遠い手のひらサイズの機械を見つめながら思いました。
便利だし今の時代使わないわけにはいけないのですが、これと仲良くできる気がしない……。
そういうことに頭を悩ませていたはずなのに、最後の最後に代替機を「初期化」という言葉が強烈に頭に残ってしまいました。
ゲームのリセットみたいなもので、これまで似たようなことは何度も経験してきたはずなのに「初期化」という言葉の持つ物悲しさといったらもう。
それにしても予想外に「初期化」にも結構な時間がかかったことには驚きました。もっとこう、ぽちっとすれば終わりなイメージだったのですが、しばらくかかるのですね。
数日の付き合いではあったけれどこちらの都合で数日分の歴史をまた初期化することになんだか申し訳なくなる(相手はスマートフォン)
でもそれだと刻み付けることこそが価値と言っているようなものだし、それも違う気がするけれど、初期化をして機械的な意味ではなくどこまで初期になるのかわからないし、そもそもこの機械自体もいつまで初期化させられる(使われる)のだろうと考えていたらますます切なくなって考えるのをやめました。
生き物ではないのですが……。
そしてなんだかおこがましいですね。
感傷的な気分で帰りました。
再び設定し直したりするのが全然わからなくて友達の力なんかも借りつつ(てかほとんどそれ)
これはもう好き嫌いではなく時代的に言えば必要なものと諦めてどうにかこうにか覚えなければいけないものなのかもしれないと思いつつ、きっとわたしのことだからこれだけはどうしてもできないまま、また何かが起きた時に同じようなことを思うことになってしまうんだろうなと思いました。
反省してるんだかしていないんだかわからない内容になってしまった。
でも基本的には得手不得手置いておいてやはりなるべく一度は触れると幅広くいきたいものです。
拡げすぎても薄まる気がするからほとほどに。
特に知識と経験はまた別で。何かを極めるとなったらという話とは違うのです。
少しでも齧れば印象は全く違ったものになります。これはきっと間違いなく。そういうのが大切なのではないかと
実際食わず嫌い的なことも沢山ありました。
好きじゃないだろう難しくて理解できないだろうと思って見向きもしなかった本を気紛れに読んでみたら面白く、むしろ以前好きだったものよりも読むようになったなんてことは多々あることです。
あ、わたしだけかもしれない……
そしてむしろ苦手だとかマイナスイメージだったものを反動でもっと好きになるなんてことはもっと多く……これもわたしだけだったらどうしよう。
兎に角どこにそういった意味での転機のようなものが転がっているかわからないということも含め、やはりいつになっても挑戦や探求は必要であると感じた次第であります。
では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。