自然とお芝居

初詣に行った時に

新年明けて、2日にぼくは初詣に行ってきました。
氏神様から横浜の総鎮守、伊勢山皇大神宮に行き、その後、平沼水天宮という神社へと。
毎年3社にお詣りするのが恒例です。

伊勢山皇大神宮に詣った後に、通りました掃部山公園にて
2018-01-08a
このような滝がありました。
生まれてから今まで。少なくとも、物心ついたときから、伊勢山皇大神宮にお詣りしておりますが・・・
この滝の存在に気付きませんでした。

 

気付かないこと

普段、見過ごしてしまうものというのは結構あると思います。
毎日、通学や通勤をしている風景も同じように感じてしまったり、
毎日、朝起きて、部屋の中が同じように感じてしまったり・・・

しかし、毎日毎日、風景も空気も雰囲気も変わっているはずなのです。
それを感じるか感じないかは・・・自分の感覚次第であると考えています。

何も変わっていないなぁ〜と思えば、自分の感覚が鈍っているのかもしれませんし、
何か新しい発見があれば、目も耳も肌も・・・きちんと働いている、ということだと思っています。

 

芝居の中でも・・・

お芝居の中でも・・・同じ台本をずっとやっていると・・・変化がないなぁ〜と感じてしまうことはままあります。
毎回、違うな、と感じていても・・・練習の度、稽古の度に新しい発見をすることは難しい場合もあります。
しかしながら・・・
自分も刻一刻と変わっていきますし、共演者・スタッフも同じ時間分、変化しているわけです。
こうした変化を感じ取る事が出来ない、変わっていないと思ったら・・・
ぼくは自分の感覚が鈍っているのではないか、と思うことにしています。

もちろん、自分の予想どおりの変化をしないこともあります。
そういう時は、まず、自分の(演出の仕方だったり、イメージの使え方だったり)を変える事にしています。
そして、稽古場が変化した少しの部分でも感じたいと考えています。

滝を今まで見つけられなかったように・・・
あったのに・・・見つけられなかったこと。
お芝居の中でもあるように思っています。
まだまだ、新しい発見があるはずだと考えています。
何故ならば・・・芸術に答えはないのですから。